
甲信越をゆく。⑧
甲信越の旅はこれから上越市(直江津)に向かうところですが、糸魚川市を出る前にどうしてもやっておかなければならないことがあります。
タケミナカタ神ですよ。
・『古事記』における、負けて逃げて命乞いでおなじみのタケミナカタ神
・糸魚川の伝承における、姫川をさかのぼって信濃に入ったタケミナカタ神
この2神は同名ながらもまったく別の神格と考えるべきです。
俺個人は、伝説的人物や神さまについて考えるにあたって、いくつかのコード、規範というかトリセツを設けています。
そんなの日本を一巡していろんなお題が出そろってから語ればいいや、ぐらいに思っていましたが、今回はあれを見てしまったから話は別。

この記事では、もの言えぬ神さまの代弁者に徹します。ギャグも封印。
モデル論に想定される4つのパターン
伝説上の人物や神さまのモデル論を考えるときに、以下の4パターンを想定しています。あまり語る機会はないと思うけど卑弥呼について考える場合、
①卑弥呼は実在する
②卑弥呼は○○だった(別人物モデル説)
③卑弥呼は複数の人物がモデルになっている
④卑弥呼なんていなかった
卑弥呼ぐらいメジャーな人物になればいろんな人がいろんな説を唱えているので、この4パターンはすべて語り尽くされているのではないでしょうか。
当たっている可能性はどこビュン旅と同様、4分の1だから25%です。
卑弥呼は天照大神だった。25%の確率で合ってますよ。それ以上にはなりませんが。後は信じる人の自由です。
畿内説と九州説の長きにわたる論争も、はたから見れば卑弥呼実在説が証明されないかぎりは確率25%の中での出来事にすぎないのです。
でも、実在説の証明なんてものは、今となっては悪魔の証明でしかありません。
これをふまえてタケミナカタ神を考えた場合、
出雲から逃走したタケミナカタと、糸魚川で奴奈川姫の子として生まれて信濃に入ったタケミナカタは別神格なので、出発点は③です。
ただし、タケミナカタにモデルとなった人物がいて、すでに諏訪の地を治めていたとします。
最初は王権の支配に抵抗したものの劣勢に立たされ、処刑を免れる代わりに諏訪の地から外には出ないと約束したとするならば、②の可能性も否定できません。
これを既存統治者説と呼び、この場合は別人物モデル説が当てはまるので①と④が否定されます。この人物については「建」「御」を敬語とし、「名方」を地名とする説などがあって、海人族の関与も指摘されているところですが、いずれ追って考えることにします。
王権がまつろわぬ民(抵抗勢力)をいかに虐げ、貶めてきたかについてを知るのに『古事記』『日本書紀』は格好のテキストになります。
負けて逃げて命乞い。
この3連コンボの貶め方を『古事記』の編纂者と背後にいる権力者が諏訪の既存の統治者にかぶせたのだとしたら、この人物は出雲から逃げ出したわけではないので『古事記』のタケミナカタ神はでっち上げということになります。
さらに、既存の統治者がいるのであれば既存の祭祀もあっただろうから、奴奈川姫の子供が諏訪の神さまとして入り込む余地があったかどうか。
この場合はタケミナカタ神を諏訪の中心に据えたいとする勢力の意向があったと思われ、もともと諏訪にはよくいわれるところのミシャグチ神がいたのであって、上社を中心に出雲との結びつきが強くなっていったのは古層の神々の祭祀よりも後であることを考えても、タケミナカタ神=諏訪の神さまは後からつくられた神ということになります。
既存統治者説をもとにこれらを整理すると、
・タケミナカタ神(古事記)→まつろわぬ民を貶めるためのでっち上げ
・タケミナカタ神(糸魚川)→後世につくられた伝承
結論から言って、どっちに転んでも糸魚川伝承のタケミナカタ神には不利な結果となりそうです。もちろん、これが正しいか正しくないかの判断も50%ずつあるので、可能性はゼロではありません。
奴奈川姫の伝説をまとめているページが糸魚川市の公式サイトの中にあります。
出典は『西頸城郡の伝説』『天津神社並奴奈川神社(に伝わる伝承)』『北安曇郡郷土誌稿』から奴奈川姫命についての逸話を抜き出してまとめた内容です。
これらを精査するだけでも一冊の本になるだろうし、実際にお書きになられた郷土史家の方々もいらっしゃるでしょうから、気になった点のみ挙げると、
姫川上流にある姫ヶ淵で奴奈川姫は入水し、自ら命を絶った
という記述が際立っています。
理由としては、大国主命に追われて逃げた末の最期と説明されており、一般に語られる仲良し夫婦ではない、出雲による侵略という暗黒面も見えてきます。
奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られてしまった。後祀られたのが今の「大将軍社」である。
ここで思うのはタケミナカタの存在です。
母親の心理として、幼い我が子を残して自ら命を絶つことがあるだろうか。
こう考えると、タケミナカタの実在性すら疑わしくなってきます。
奴奈川姫の夫をかりに奴奈川彦とし、侵略者・大国主命に夫を殺され、追いつめられた末の最期とするならば、つじつまは合います。
でも、よく考えてみてください。
先ほどの奴奈川姫の夫のくだりで「夫は松本の豪族」と書いてあることからも、これは神代の話ではありません。
日本の歴史において、敵方に夫を殺され自害した女性の数ははかり知れないわけで、言ってしまえばよくある出来事です。
よくある人物は、神として祀られることはないのです。
大国主の威を借りた王権の侵略説話と、神として祀られた奴奈川姫とタケミナカタを混同するべきではないと考えます。それをしたが最後、諏訪の既存統治者説よりも時代が後になってしまい、諏訪を開拓統治したという糸魚川のタケミナカタは消滅せざるを得なくなるからです。
その一方で、姫川の姫ヶ淵にはこのような言い伝えもあります。
12.姫川の上流姫ヶ淵の付近にコウカイ原と云ふところあり、ここにて奴奈川姫命その御子建御名方神と別れたまひしところなりと。
これなどは糸魚川のタケミナカタにとっては有力な情報です。
神別れについては、遠野旅で神遣(かみわかれ)神社を見ています。
神別れには何か意味があるのだろうとは思いますが、今の段階では何ともいえません。遠野の場合は死に別れでなかったことだけはわかっています。
ただ、糸魚川伝承のタケミナカタ神が「諏訪の地を開拓統治した」というのも「姫川の上流で別れた」というのも奴奈川神社に伝わる伝承のみで、他には見当たらないことに関しては注意が必要です。
結局は信じる者の胸ひとつ
整理すると、『古事記』と糸魚川伝承のタケミナカタは別神格であっても、奴奈川姫伝説からタケミナカタの実在性を探ろうとしたところで諏訪大社とは太い線ではつながらない、というきびしい状況です。
しかし、それでも諏訪大社の祭神はタケミナカタ神であり、母神は奴奈川姫命です。
そこで、俺のようなタイプの物書きの出番であるとばかりに出しゃばってやろうと思います。
俺がラノベの作者なら、タケミナカタ神を主人公にこんな話を書きます。

ヒスイの輝きをパワーに変える不思議な霊力の持ち主である奴奈川姫を母に持つタケミナカタは、プレイボーイで80人の妃を持つ父・大国主のチャラ男っぷりに苦笑しながらも、自然豊かな糸魚川で少年時代を過ごす。
ある日、勾玉の導きにより姫川をさかのぼったタケミナカタは、諏訪湖からやってきたという龍神から糸魚川に迫る危機とともに出生の秘密を聞かされる。
タケミナカタの本当の父親・奴奈川彦はヒスイの権益を狙う出雲族に命を奪われたこと。そして、糸魚川の完全掌握を企む出雲族の軍勢が迫っていることを。
出雲族の首領は大国主だった。プレイボーイを装った男の、侵略者としての裏の顔である。
奴奈川姫はタケミナカタを連れて従者とともに糸魚川から脱出するも、大国主の追撃を受けて一人また一人と倒れてゆく。
瀕死の奴奈川姫はヒスイを操り、タケミナカタを繭のように包んで姫川へと放ち、そのまま息絶える。
タケミナカタを包んだヒスイは血に染まった姫川の水底を転がるように遡上し、やがて諏訪の地にたどり着くのであった……。
で、諏訪湖の龍神のお告げを聞いた先住民(反出雲族)の助力により、タケミナカタはたくましい若者に成長し、諏訪の地を守るために立ち上がるわけですよ。
ミシャグチ神とも戦います。もちろん共闘もします。
クライマックスは大国主との対決ですが、諏訪大社の祭神の父神でもあるので、やっつけておしまいというのは違うかな。
怨讐を超えて「あなたを許す」と言えたなら、タケミナカタは諏訪の本当の神さまに、みんなに愛される神さまになれると思います。
プロットを一読すると、タケミナカタ神は水の神のようですね。
上社が農業の神さまを祀るのであれば風の神あたりが都合がよかったのですが、諏訪湖の龍神伝説と、タケミナカタが姫川から信濃に入ったという伝承に、奴奈川姫のパワーでヒスイに包まれて川を流れたという貴種流離譚(創作要素)を加えるとそうならざるを得ません。
これにヒスイは比重が重いというフォッサマグナミュージアムで仕入れた科学的知見もとり入れると川底ゴロゴロ移動になるわけですが、そのおかげで大国主勢の追求を逃れられたというのもあります。そんなことは水の神でもない限り無理であって、風の神でもきつかろうと思います。
あと、ここまで八坂刀売が出てませんね。ヒロインの設定を考えてないのがバレバレですが(笑)。何か考えます。殺伐とした世界観なので、おてんばな女の子のほうがキャラが動かしやすくていいです。
要するに、信仰もファンタジーなのですよ。祈る側はそれぞれのイメージで神さまをとらえていて、祈る内容も千差万別となります。
神さまに祈りを捧げるときに、何を思うのか。
お金持ちになりたい? もちろんお金は大事。
受験に合格しますように? お礼参りもきちんとしようね。
俺は大きな絵図を描くために旅をしているので、大きな絵図が描けますようにと祈りを捧げます。
諏訪湖にいたのは実質半日に過ぎなかったけど、周辺取材も含めて、これだけの絵図が描けました。
絵図とはすなわち今回の場合は、タケミナカタ神とは何か。
重ねて言います。
負けて逃げて命乞いをしたタケミナカタ神は、本当の諏訪の神さまではありません。
本当の諏訪の神さまは、諏訪大社をお参りしたみなさんの心の中にいます。そして、
俺は、俺のタケミナカタ神を信じます。

あなたは、あなたこそはタケミナカタを立派な諏訪の神さまに育てた偉大なる(グレート)シングルマザーの神さまです
[これが越後の中枢だ ⑨につづく]