開館時間が来たので記念館へ。
ふと、入口前の植物が目にとまった。
ガガイモ、聞いたことあるぞ。なんだっけ?
あ、スクナヒコナ(少彦名命)だ。
波の穂より天の羅摩船(あまのかがみのふね)に乗りて(中略)帰り来る神あり。
天の羅摩船は解説文等によるとガガイモのさやでできた舟なのだとか。
実物を見るのははじめてだな。
古四王神社の祭神つながりなのだろうか。珍しいものを見せてもらった。
■宮沢賢治記念館■
ちくま文庫版の全集では『春と修羅』は全三集+補遺で、番号がつけられているのは1092編。
このうちノートに書き残されていた詩稿については全集では「詩ノート」としてまとめられている。
と、全集では断章八まで続く。
これ見つけたときは感激したなあ。
特別展に戻って『注文の多い料理店』の初版本。
もりおか賢治・啄木青春館(盛岡市)のアンケートでもぶっちぎりの1位だった。
1945年8月10日の花巻空襲時に、賢治の遺品は蔵に収めていたが、それでも焼け焦げたり水濡れしたりして、無事だったものだけがこうして公開されているのだ。
記念館はこんな感じ。次行ってみよう。
■宮沢賢治童話村■
関連施設は記念館の他にも「賢治の学校」「賢治の教室」「イーハトーブ館」などがあってややこしい。
それぞれの関係がわかる案内図を見てみよう。
国道456号を境に東西に分かれ、西側に古四王神社と記念館、東側に花巻市博物館。さらには童話村の名称で施設が集中している。
賢治の学校
『ゴーシュ』の結末についてよく取り沙汰される、カッコウには謝ったけど猫には謝らなかった件について。
いろんな人がいろんなことを語っているけど、そんなに難しい問題かなあ。
ゴーシュとはフランス語で「下手くそな(gauche)」の意。
粗野だけど繊細なところもあって、音楽団の団長にいじめられたことを思い出してひとり涙にくれたりもする。
この時点では感情のコントロールが未熟な状態。
夜な夜な動物たちが現れてはセロを聴かせてほしいとせがまれ、ゴーシュは嫌々ながら演奏しつつも、最初の頃は乱暴に追い返してしまう。
被害に遭ったのは猫→カッコウの順で、その後のタヌキやネズミの親子とはそこそこ良好な関係を築いていた。
で、猫とカッコウとの比較論だけど、猫は「おみやです」といってゴーシュの畑から盗んだトマト(まだ青い)を渡そうとしたり、シューマンのトロメライを弾けと言ったあげく、「ひいてごらんなさい。きいてあげますから」と上からの物言いでイラっとさせている。
カッコウの場合は「ドレミファを教へてください」と現れて、教えを請う下からの態度を終始とり続けているのがポイント。
演奏に合わせてカッコウが鳴く声を聴いているうちに、ゴーシュは「弾けば弾くほどくゎくこうの方がいゝやうな気が」して劣等感にさいなまれ、ついには「出て行かんとむしって朝飯に食ってしまふぞ」と激昂する始末。
驚いたカッコウは逃げだそうとして窓ガラスにぶつかり、くちばしの付け根から流血までしてしまう。
ゴーシュは夜中の演奏(練習)の甲斐あって団長や仲間にもほめられ、ある種の劣等感からは解放される。
結末はこんなセリフで締めくくられる。
「あゝくゎくこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんぢゃなかったんだ」
カッコウに劣等感から当たり散らした自分の感情を客観視できるようになれたのも上達のきっかけを与えてくれた動物たちのおかげではあるけれども、基本的に動物たちを下に見ているゴーシュの性格そのものが変わったわけではない。
だとすれば、謝罪の対象となるのは無礼な態度をとった猫よりも、何も悪いことはしていなかったカッコウということになる。
『セロ弾きのゴーシュ』も好きな作品なんだよね。
おみやげに賢治の直筆複製原稿を買った。
禁複製で載せられないのが残念。
賢治の教室
童話村が童話世界をモチーフにしているのに対し、こちらは賢治が探求してやまなかった「石」「鳥」「星」「動物」「植物」の5テーマを個別にログハウス内で展示している。
■花巻市博物館■
もちろん博物館にも行く。
とくに賢治と関係があるわけではないので軽く触れるにとどめる。
■その他■
童話村を出て国道の南側にも関連施設がある。
宮沢賢治イーハトーブ館
宮沢賢治設計 日時計花壇
南斜花壇
よし、賢治の森は一通り見てきたぞ。
まだ時間はある。めざせ、イギリス海岸!
[次回、花巻編ラスト ③につづく]