【千葉】吾妻神社 馬だし祭り
吾妻神社(富津市)の祭礼は9月15日(日)に行われた。
今回は神馬(おめし)と副神馬(だしうま)が海岸を疾走する馬だし祭りの模様をお届けする。
■吾妻神社(富津市)について■
馬だし祭りの起こりはヤマトタケルの東征伝説にあるのだという。
東国平定を命じられたヤマトタケルは走水(現・横須賀市)から船で房総半島をめざした。
だが波は荒れて風が吹きすさび船は思うように進まず、これは海神の怒りによるものだと悟った弟橘媛(ヤマトタケルの妃とされている)が海に飛び込み、自らのいのちと引き換えに一行を救ったのである。
その後、弟橘媛の遺品が岩瀬海岸に流れ着き、馬がくわえて小高い丘を駆け上がったことから、この地に社が建てられた。
吾妻神社の吾妻(あずま)とは、入水した弟橘媛を偲んで「吾妻はや(わが妻よ)」と語ったヤマトタケルの言葉に由来する。
祭礼の中で馬が登場するのは「石段駆け上がり」と「海岸疾走」の2回。
■08:37 大貫駅周辺■
吾妻神社をめざして自転車を走らせていると氏子の一行を発見。
神馬ちゃんもいるぞ。……あれ?
名前はニジタロー。元競走馬である。
富津市と君津市は隣接していることから、両神社の祭礼には神馬として毎回参加しているという。
これは面白いことになってきたぞ(笑)。
■09:15 石段駆け上がり■
小高い丘の上に立つ神社というだけあって石段は急な登り。
人見神社のときは途中で引き返して裏参道からトラック輸送している。
社殿前まで登り切れるかな?
この後、神馬二頭は午後の海岸疾走に向けて休憩に入る。
■閑話休題■
午前10時、神輿が出発して午前の神事はつつがなく終了した。
海岸疾走がはじまるのは午後2時。4時間どう過ごそうか。
コンビニおにぎりなど頬ばりつつ、周辺散策することに。
写真を撮っていると老婦人に声をかけられた。
地元民とあってか、吾妻神社の祭礼や馬だし神事の由来について詳しかった。
「馬がね、弟橘媛の遺品をくわえて吾妻神社の坂を駆け上がったんだって。以来、ここでお祭りをずっと続けてるの」
さすがに景行天皇の御代からこの祭礼が続けられてきたとは考えにくいが、神社の由緒などをみるにヤマトタケルがその地に幣束を立てたことがきっかけと伝えられている例は多い。
形こそ違えども、古くから何らかの祭祀が執り行われてきたのではないかと思えてくる。
そういえば、吾妻神社への拝礼がまだだった。
もう一度戻って、人気のない社殿へと向かう。
吾妻神社には拝殿後ろに弟橘媛の御神像を祀る奥の院がある。
■14:30 岩瀬海岸■
この日は天気こそよかったが海岸沿いは風が強く、飛び散る砂で目を開けていられないほどであった。
そんな中でのスタートとなった。
神馬による海岸疾走は二名の若衆が伴走し、砂浜を走って御幣が立つゴールをめざす。
馬はそのままではまっすぐには走らない。
左右からしっかり手綱を握り、互いに呼吸を合わせてコントロールしながら直進させるのだ。
出走は神馬(ニジタロー)が一回。副神馬(ミー)が複数回行った。
境内で写真を撮っているときに親子連れの参拝客とすれ違った。
若い父親が小さな子供に神社の由来を語って聞かせている。あのとき出会った老婦人のように。
この地区の人々は吾妻神社の祭りを通じて弟橘媛のことを知り、親から子へと語り継いでいるんだろうな。
伝説がいつまでも語り継がれ、お祭りがいつまでも続きますように。
以上、吾妻神社 馬だし神事の模様をお届けした。
残りの時間は神馬ちゃん劇場でも食らいやがれっ。
■続・神馬ちゃん劇場■
【おしまい】