【速報】龍ヶ崎の撞舞(つくまい)
2024年7月28日(日)、茨城県龍ケ崎市で行われた撞舞(つくまい)の模様を速報でお届けする。
報道には正確さが要求されるのは当然のことであり、地名についての情報にはことさら配慮が必要となる。
龍ケ崎市の場合、「ケ」はカタカナで大きいほうが採用されている。
条例によって定められていることも多く、ゆめゆめ「龍ヶ崎市」などと書いてはいけないのである。罰則なんてないけど。
ところが、市名ではなく地域の名称としては「龍ヶ崎」とする場合もあり、「龍ヶ崎の撞舞」と書くことは間違いではない。
さらに市内を走る関東鉄道竜ヶ崎線の終着駅は竜ヶ崎駅(龍ケ崎市米町)。「ケ」は小さい。
企業や官庁によっては「竜ケ崎○○」とつく名称もあり、一つの地域に読みこそ同じではあるが4種類の表記が存在するというのは極めて珍しいのではないか。
ややこしいぞ、龍ヶ崎。でも名前がかっこいいから許す(笑)。
■撞舞(つくまい)とは何か■
今回は宿題をもらいに来た。
資料を何点か読んで知識は得られたが、整理が追いついていない。
逆に疑問が増えているのだ。
伝えられることから伝えていこう。
撞(つく)とは「柱」を意味するもので、約14mの柱の上で舞い手が曲芸を披露する。
7月下旬に開かれる八坂神社(龍ケ崎市上町)の祇園祭最終日(三日目)に行われ、お囃子(おごど囃子)に合わせて柱をよじ登り、雨乞いや五穀豊穣、疫病退散などを祈願する。
舞い手(舞男という)は面を着けてアマガエルに扮装する。
紺と白の木綿布で覆われた撞柱は龍に見立てたものであり、アマガエルは龍の背中をよじ登って雨乞いするのだといわれている。
伝えられるのは、ここまでだ。実は少し違和感をおぼえている。
■龍とカエル■
龍は単体でも雨を降らせることができる。
千葉県栄町に伝わる伝説では、日照りに苦しむ農村を救うべく小龍が天に昇って雨を降らせようとしたが、龍神の怒りを買ってその身体を引き裂かれてしまう。
小龍の死を悲しんだ村人は、引き裂かれた身体が落ちた三つの場所で弔ったことから「龍角寺」「龍腹寺」「龍尾寺」が建立されたといわれている。
蛙(かえる)も水をもたらす霊力を持つとされ、蛙に似た形の石を雨乞いの儀式に用いた例もある。
龍ケ崎市歴史民俗資料館HPの解説によると、龍ヶ崎にはフクと呼ばれる巨大なアマガエルの伝説があるようだ。
フクは洪水の際には水を飲み込み、日照りの時には水を吐き出して雨を降らせて農村を救ったという。
そんな龍とカエルがタッグを組めば、どんな日照りもたちまち解消!
と、この祭りだけを見れば、そう結論づけていただろうと思う。
■野田のつく舞■
龍ヶ崎の撞舞に先だって、7月13日(土)に野田市・キッコーマン社員駐車場にて行われた「つく舞(津久舞)」を見てきた。
須賀神社(下町)の夏季例祭行事の一部として披露されるものであり、高さ14.5mのつく柱の上で演じられる曲芸の演目は龍ヶ崎の撞舞とほぼ変わらない。
野田のつく舞も歴史が古い行事といわれている。
昭和初期と戦後に舞い手を欠いたことから中断を余儀なくされ、復活のために招聘したのが龍ヶ崎の舞男だった。
それゆえ演目に関しては龍ヶ崎の影響を受けているといえるだろう。
しかし、決定的に違うものがある。つく柱だ。
野田のつく柱は龍ではない。
白い布を貼っていることで巨大な白蛇と見立てる説もある。なんとなくわかる。
だとしたら、今度は蛇とカエルの関係も考えなければならない。
残念ながら、今はそれを語れるだけのアイデアがない。
資料には、こんな記述もある。
轡とは、馬の場合は手綱 (たづな) をつけるために口にかませる金具を指す。
では、誰が猫の首に鈴をつけたのか。
それがわからないことには牽強付会もはなはだしい。
野田の伝統芸能としてのつく舞は、龍とはそれほど関係なさそうだ。だが、蛇の可能性は否定できない。
基本的にはアマガエルに扮した舞い手(ジュウジロウと呼ぶ)による命がけの雨乞いの儀式とみる。
(※重次郎という人物が津久柱にのぼったという伝承から受け継がれた)
龍ヶ崎の撞舞に龍が登場するのは、龍ヶ崎の地名が示すように、この土地の龍の伝承と深い関わりがあるのではないか。
それが仮説である。
検証するためには情報収集が不可欠だ。
さらに、つく舞に影響を与えたという蜘蛛舞についても調査が必要と考える。
祭りを見ただけで何かを語るのは時期尚早、というのが現時点での結論となる。
■舞男が魅せる妙技の数々■
疑問点を明らかにしておきたかった。長々と申しわけない。
それでは龍ヶ崎の撞舞の妙技の数々をご覧いただこう。
舞男は谷本仁さんと新人の小菅真幸さんの二名。
谷本さんは舞男を33年もの間つとめたベテランで、昨年惜しまれつつも引退した。
今年からは後継者の大石浩司さんと小菅さんに託されたのだが、大石さんが肩の負傷により降板。
急きょ谷本さんが今季限りの現役復帰を果たしたのである。
■たゆまぬ鍛錬によって培われた技と心■
Xには撞舞の関係者から、日々の練習風景や撞柱の設営の模様などの画像が投稿されている。
6月から7月にかけての雨天を除く毎週日曜の夕方に、舞男は本番に向けての練習を行ってきた。
すでに記したように撞柱の高さは約14m。命綱はない。
落下すれば怪我どころではすまない危険な演目に臨むべく、ひたすら鍛錬に励んできた。
舞男として選ばれた栄誉のため?
祭りの伝統を守るため?
それもあるだろう。
だが、演技中の舞男は一切の雑念を払い、精神を集中させて柱と綱に挑んでいる。
鍛え抜かれた技と心で龍に挑み、その妙技の数々によって、舞男たちは神と対峙しているのだ。
その一挙手一投足に観衆の目は釘付けとなり、惜しみない拍手を贈る。
いつまでも鳴り止まない、拍手を贈り続ける。
おそらく江戸中期あたりから利根川流域の各所で行われていたつく舞だが、現在は龍ヶ崎と、千葉県の三か所(野田市、多古町、旭市)のみとなってしまった。
つく舞には単なる伝統芸能にとどまらない、何かがある。
それを解き明かすためには、各地域の歴史や民俗、とりわけ信仰の諸相にいま一歩踏み込んでいかなければならないだろう。
今回は宿題をもらった。資料もこつこつと集めはじめているところだ。
来年の夏には、いっぱしのことが語れるようになりたい。
書くことで、彼らにエールを贈りたい。
[2024年7月28日]
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