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加賀から越中立山へ。石川→富山②

北陸の旅へ、いざ出発!

はじめての北陸新幹線
東京駅06:16発かがやき501号
はじめての小松駅
そして
はじめての加賀白山そば
寒かったんで天ぷらうどんにしてみました
やや細麺のうどんにすっきり味のつゆが最高
この中に小松市のご当地キャラがいます
どの子かわかるかな?
正解はカブッキー
こんなところにカブッキー
そしてここにもカブ…
って、弁慶さんっ!?
なにやってるんですか

歌舞伎のまちとしても知られる小松は、武蔵坊弁慶と源義経を主人公にした歌舞伎の演目『勧進帳』の舞台となった場所でもある。

『勧進帳』は後世に作られた創作ではあるが、駅の西側にある安宅海岸は演目のゆかりの地として義経らの銅像や資料館などが建ち並ぶ、いわば聖地なのだ。

でも今回向かうのは東側で、戻ってから出かけたのでは金沢での滞在時間が短くなってしまう。

そんなわけで泣く泣くスルー。

二巡目の旅のやることリストに入れておきますんでご容赦を。


天候不順すぎだよー
どうすりゃいいんだよーっ!?

そんな不安要素を抱えつつ、県道360号を東に進むこと5km。

加賀国総社・石部神社

石部神社は、加賀国の国府および国分寺の推定値に建てられた府南山歴史公園の一角にある。案内板に詳しい説明があった。

推定地の北側はかつて国府(こう)村と呼ばれていて、国司を務めた藤原為房が残した日記に府南社への参拝の様子が記されたことから、国府村の南にある石部神社が総社として比定された
案内板に『為房卿記』の日記が掲載されていた
当時の国司が総社や国分寺を頻繁に訪れていたことがわかる
まずは鳥居まわりから
加賀国ができる前からこの神社があったこと
延喜年間に式内社に列せられたこと
この地が涌泉寺事件の舞台となったことなど

しんみりさせられたのは涌泉寺事件のくだり。

簡単にいうと藤原師経(もろつね)が目代(国司の代理)として加賀国に赴任後、やりたい放題の所業で地元の白山僧侶と大げんかになった末に涌泉寺を焼き払う暴挙に出た。

白山僧が強訴したことで師経は久々田村に左遷。

左遷された久々田村は現在の千葉県習志野市で、師経は祖先の藤原時平を祭神として菊田神社に祀っている。

菊田神社(千葉県習志野市)
祭神は大己貴大神(大国主命) 、藤原時平命
アイーン狛犬が人気

涌泉寺事件はめぐりめぐって後白河法皇と平清盛との関係を悪化させ、師経はその後とらえられ、後白河法皇の側近でもあった藤原師光(西光。師経の父)ともども斬首された。

遠く離れた加賀国と下総国(習志野市がある)にそんなつながりがあったとは。

盛者必衰を学ぶことも歴史旅だ。しっかり見届けて下総に戻ろう。

石部神社のガラス張りの拝殿
雪のお参り対策?
本殿はこんな感じ

国府と国分寺は総社の北側にあるんだったな。

遺構が発見されていないので国府の場所は特定できないけど、国分寺推定値はそれっぽい場所にあるらしい。行ってみよう。

加賀国分寺(推定値)

ここがそうなのか?
案内板があった
十九堂山(じゅくどうやま)遺跡っていうのか

遺構の大半は残念ながら耕地整理で削り取られています。

とのこと

墓ができたのは室町時代か。これ以上は話の転がしようがないな。

でも加賀国の中心だった場所はわかった。小松駅に戻るか。

小松駅に戻り
おっ、この娘いいな

「IRいしかわ鉄道 公認キャラクター 倶利伽羅しおり」とある。

スマホの位置情報ゲームのキャラが鉄道会社とコラボしたのか。

しかも北陸3県の路線でユニット組んじゃってるよ

パンタグラフは無視して客室乗務員としてみた場合、

・やまと姉さん(右)は酔っ払いとかあからさまに嫌って顔に出そう
・しおり(中央)はクールに見えるけど不測の事態であわてるタイプだな

※個人の感想です

天然っぽいけど、どんなときでも常に笑顔で接客できるこはなちゃん(左)がメンタル面からも適任とみた。

でも、俺的にはしおり推しで☆ ←とっとと金沢に行きやがれっ!

石川県立歴史博物館

金沢駅で下車してまず訪れたのは、石川県立歴史博物館。

ちょっと今までにない感じの博物館の外観

この旅日記には博物館がちょくちょく登場します。

博物館で拾ったネタが旅をするうえで役に立つことがよくあるので、時間が許すかぎり見てこようとは思ってるんですけどね。

ただ最近思うのは、博物館を紹介するというよりもネタを拾い食いしているだけなのかなー。情報に偏りがあるというか。

博物館好きの人たち、ごめんね☆

そんな独断と偏見に満ちた石川県立歴史博物館を3枚で語ってみようのコーナーですよ。

3枚で語ろう!石川県立歴史博物館

兼六園ーっ!
源平騒乱ーっ!
ヤマトタケルでございます

復元模型、好きなんだよねー。

兼六園は現役だから復元でも何でもないのですが(笑)。

なぜ好きなのか浜松に行ったときにわかったんで、しっぺい太郎に会いに行った掛川回で語ることにします。ずいぶん先になるけど。

源平騒乱は武士や寺社勢力の台頭っていう不穏なワードに惹かれます。石部神社の由緒で見た涌泉寺事件もそのひとつ。

ヤマトタケル像は兼六園内にあるので詳細は後ほど。

これ読んどいてよかった。

なぜだ!? 愛と哀しみの兼六園

「旅のけいかく ~中部」の次回予告からさんざん引っぱってきた兼六園でございます(汗

旅程を組む段階で博物館と兼六園と金沢城はそれぞれ近くにあることがわかったので全部行ってやろうかと検討してみたものの、翌日の移動がけっこう大変で体力も温存しておかないとなーって考えてたときに2008年に撮った写真が出てきた。

当時の俺は雑誌記者で「写真はカメラマン(専門家)が撮るもの」と決めつけていました。

こっちは記事を成立させるのにいっぱいいっぱいなのに写真とか余計な仕事を押しつけてくれるなよと。

だから旅行に行っても写真を撮ることなんてめったにしなかったし、そういう意識だから撮ったところでアリバイ作りの証拠写真レベルにしかならなかった。

アリバイ写真の一例
2008年9月19日撮影

現場を離れて一人になって、こうしてnoteで記事を書くようになったときに、改めて写真の大切さを思い知った次第です。

なもんで自戒と反省の意味を込めて今回は兼六園で。金沢城はまた今度。

ところで、兼六園の基本情報とかいるかな? 

でも、小学生のみんなが家族旅行で金沢に来たときに「兼六園ってどういう意味なの?」って大人に聞いてもまともに答えてもらえるとは思えないので、簡単に説明するよ。

兼六園の基本情報(小学生限定)

金沢の兼六園は、国の特別名勝(景色がきれいな場所)にも指定された偕楽園(水戸市)や後楽園(岡山市)と並ぶ日本の三大名園の一つです。

名園と呼ばれるためには六つの条件があると、昔の人は考えました。

すなわち、

宏大(こうだい) ひろく大きいこと
幽邃(ゆうすい) 奥深くて物静かなこと
人力(じんりょく) 人の力で作られていること
蒼古(そうこ) 古びて味わいがあること
水泉(すいせん) 池や滝などがあること
眺望(ちょうぼう) 眺めがよく遠くまで見晴らせること

兼六園という名前は、これら「六」つの条件を「兼」ね備えていることにちなんでいます。

でも、ここでみんなは不思議に思うことでしょう。

人がいっぱいいたら物静かにはならないし、外国から来た人たちは古びた味わいなんてわかるのかなあ?

それは人にもよりますよ。でも大丈夫。

大人になれば、過去に起こった出来事や少々つらかった記憶であっても美しい思い出に変えてしまう心の働きが強くあらわれるようになります。

これを思い出補正といいます。

たとえば、誰かがSNSにとても映える写真を掲載してびっくりするほど注目されたとします。

人々は同じ写真を撮りたいとその場所に群がり、とても苦労して撮影したにもかかわらず最初に見た写真のようにはならなくてがっかりした、といった経験は人生には多々あるものです。

そんなときでも、写真のことはひとまず置いといて、「この前、兼六園に行ってきたんだけど人いっぱいで大変でさー。でも、まあ楽しかったよ」とでも言っておけば、時が経つにつれて写真のことなどすっかり忘れて楽しかった(と誰かに話した)記憶だけが残ります。これが思い出補正です。

兼六園のように難しい言葉で名前に意味を持たせているのは、実際に行ってみて観光客多すぎで騒がしかったり改修に次ぐ改修で古びた味わいなんて全然ないじゃないかと思ったとしても、あとでふり返るころには行ったときの印象などすっかり忘れて、名園の「六」つの条件を「兼」ね備えた場所だったなあなどと思い出補正してくれるであろう期待が込められているのです。

みんなはまだ世の中に対してわからないことのほうが多いかもしれません。でも、今から述べることだけはしっかり覚えておいてください。

ものごとはすべからく名前(ネーミング)が肝心。肝心なのですよー。←だから小学生にあることないこと(略

見学ルートを設定する

金沢駅前の鼓門のあたりですでに大混雑していて、人々の何割かが兼六園をめざすであろうことは自明。

兼六園が混雑する時間帯やスポットについてはまったくわからないので、事前に調べておいた情報をもとにルートを設定しておきました。

まずは兼六園公式サイトにあった入場口と料金所の地図をご覧いただきたい。

金沢駅から近いのは地図右下の桂坂料金所
このあたりが混みそう

そこで、

・駅から遠い真弓坂口から入場して桂坂周辺の茶屋の並びは回避
・時計回りに上坂料金所方面に進んで明治紀念之標(ヤマトタケル像)へ
・最終的に随神坂料金所近くの金城霊澤と金澤神社をめざす

その途中で宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望の六条件についてもよさげなスポットを撮影していこうと。

あとは自分ルールとして、極力お客さんが写りこまないようにする。

神社の社殿などは参拝客が写りこまないように、参拝が終わるのを待って撮影しています。拝礼には5分も10分もかからないんだから待てばよいし、長蛇の列で時間がかかりそうだったら出直すだけのこと。

それでは、行ってみよう。

作戦通り真弓坂口から入場

水泉スポット 瓢(ひさご)池

かつて蓮池庭と呼ばれていた兼六園発祥の地
池がひょうたん型であることから瓢池と呼ばれるように
正面に見える翠滝は安永3(1774)年に造営
翠滝(みどりたき)が見えづらいと思ったら位置を変えて正面に据える
この十数年で成長しましたよ

人力スポット 噴水

噴水なのに、なぜ水泉でなく人力なのか
こういうわけなのですよ
みんな素通りしちゃってるけど

霞が池には虹橋がかかっています。

やたら行列ができていたのでスルーしましたが、おそらく池と橋で記念撮影した写真をSNSに載せて評判になったのではないかと。

で、同じ写真を撮りたいとその場所に列をなす群衆心理(笑)。

橋で興味深かったのは、断然こっちですよ。

蒼古スポット 雁行(がんこう)橋

対岸に人が写り込んでいるけど気にしないでね☆
説明はこちら

残念だったのは立ち入れなかった場所がいくつかあったこと。

七福神山

自然石7つを七福神に見立てて配列している
(工事中でした)

栄螺(さざえ)山

眺望スポットとして紹介したかったんだけど(残念
2008年に撮った写真はここからだったんじゃないかと思う
違ってたらごめん

幽邃スポット 鶺鴒(せきれい)島

イザナギ&イザナミが男女和合の方法をセキレイに教わったことからその名がついた
「三社」の額が掲げられた鳥居の周辺に陰陽石(誕生)、相生の松(結婚)、五重の石塔(死)を配置することで人生における三つの儀式を表現している

池に浮かぶ島でふだんから立ち入りはできないけれども、ここはよかった。鳥居の苔むした感じがよいのですよ。

明治紀念之標(日本武尊像)

そんなこんなでヤマトタケル像にたどり着きました。

2008年ごろの俺だったら、ふーんで終わっていたヤマトタケル像

今改めて見ると、いろんなことがわかりますよ。

カラスくん、どいてくれないかなあ

・全体のフォルムがふっくらしていて、マッチョというよりは中性的
・ひるがえった衣服の裾はスカートのようでもある
・それでいて剣を逆刀に構えて殺る気まんまん

制作者(不明)としては、クマソタケル戦における女装ミッションの頃をイメージしていたんじゃないかな。

クマソタケル兄弟の討伐を命じられた小唯命(おうすのみこと)が叔母ヤマトヒメの衣服を借りて女装し、酒宴に潜入して酔っぱらった兄弟をみごと討ち取る。

死に際のクマソタケルがタケルの名を譲ったことで小唯命はヤマトタケルと名乗るようになったと。

古事記に登場するエピソードであり、日本書紀では例によって違ったことが書かれている。まあそれはいいとして。

この像に関しては、小唯命からヤマトタケル(日本武尊)となって国を背負って戦う決意を示した姿であり、明治13(1880)年という制作年代と時代精神に合致したヒーロー像と言えるでしょう。

著名人をかたどった銅像記念碑としては最古のものってところも感慨深いよね。

ところでこの像。8年前にも撮影したんだけど、比べてみてびっくりしたことがある。

(2024年撮影 Canon G1X markⅢ使用)
なんか顔が伸びちゃってるんですけど(汗
(2008年撮影 Nikon Coolpix S210使用)

あれなのかなー。ぽっちゃりさんなのを気にして夜中にエクササイズに励んで小顔になったとか。同じ像とは思えません。

金城霊澤

不思議な体験もできたところで、さらなる不思議スポットへ。

その名も金城霊澤(きんじょうれいたく)

ここが金沢の地名発祥の地なのですよ。というのも。

ご覧の通り

もったいぶらずに見てみよう。

この透明度、まさに霊沢なり
岩屋に囲まれた金城霊澤の金石文(石碑)
本来ならば国宝級だと思うんだけど

金澤神社

最後に金澤神社で旅の無事を祈願。

鳥居と社号標
随神門をくぐって拝殿へ
お見守りいただきありがとうございます
いつの日かまた戻って参りますゆえ、何とぞよろしくお願いいたします

よし、行こう。

桜も雪吊りもない季節外れの訪問だったけれども、名園たる六つの条件については、しかとこの目で見届けた。

野町駅から北陸鉄道石川線に乗り
終点の鶴来(つるぎ)駅へ

明日は能登をめざすぞ。

[加賀国一宮から能登国分寺へ ③につづく]

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