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遠野を走る。⑤

足が痛い。

右のふくらはぎが肉離れを起こしている。

考えられるのは昨日の光明寺から宮守観音に続く約8kmの登りだ。

疲れてくるとペダリングに左右差が出てしまう。

右足に頼りすぎていたのかもしれない。

ヒザを90度に曲げるスクワットは問題なくできる。

それ以上しゃがみ込んでストレッチがかかると激痛が走る。

足を前後に開いてレッグランジ。

前足重心ならば十分に腰が落とせるが、後足に体重がかかると痛い。

足首が動くことでふくらはぎに痛みが出ることがわかった。

自転車の場合はペダルを土踏まずからかかと側で踏めば、ふくらはぎに負担はかからない。

歩く場合は靴底を引きずる形になるが、足首を曲げなければ前には進める。

ただし、五百羅漢のような岩場ではそうはいかない。

今日一日がんばってみて、左足にも痛みが出るようなら撤退しよう。

2日目は岩手上郷駅からスタート
中央下部の外国語はエスペラント
宮沢賢治が理想の言語と支持した人工語である

ここから伊豆神社、平倉観音、熊野神社と六角牛権現、六神石神社をめざしたが、これらについては⑦と⑧で後述する。

■荒神神社■

田んぼの中にぽつんとたたずむ茅葺き屋根の堂社
遠野のポスターなどでよく見るスポットである
荒神はその名が示すとおり「荒ぶる神」

祀られているのは権現様(ゴンゲンサマ)で、他の地域の権現様とケンカして片耳を食いちぎったと言い伝えられている。

田の神で荒神というと台風被害を免れるための風神ではないかと思われるが、権現様は権現様だ。

実際に周囲の稲はよく実っているし、ただの暴れん坊ではないありがたい神さまなのだということがわかる。

「おっ、先客がいましたね」

停車した車から降りてきた二人組の男性に声をかけられた。

一人は地元で、もう一人は地方に住む友人。

車で遠野を案内しているのだという。

これから山口集落に向かうのだと告げると「同じです」と笑っていた。

遠野初心者が行くべきお決まりのコースのようだ。

一礼して先を急いだ。

途中、六角牛神社(後述)に寄り道してから集落までは約10kmの道のりである。

■山口集落■

正しくは遠野市土淵町山口。

佐々木喜善の生家と墓所があり、『遠野物語』のエピソードも数多く登場する。

山口の水車

『遠野物語』に記述があるわけではないが集落の暮らしを象徴する文化遺産

河童淵(58話)

水車にほど近い山口川にかかる橋のたもとに案内板
河童伝承にまつわる場所は遠野には10数か所あるという

山口孫左衛門(18話)の屋敷跡

ザシキワラシは家の守り神でもある。
ザシキワラシが出て行ったことで山口家は没落した

佐々木喜善の墓

集落の共同墓地の中に佐々木喜善の墓がある

デンデラノ(111話)

60歳を超えた者はこの地に追いやられて共同生活を送った
日中は里に下りて農作業を手伝うが家に戻ることは許されない
里に下りることをハカダチ、里から戻ることをハカアガリという

ダンノハナ(111話)

境の神を祀る小高い丘
共同墓地があり、デンデラノで亡くなった者もここに葬られる
かつては処刑場だったという

田尻の石碑群

馬頭観音、金比羅権現などの文字塔が並ぶ
左の青面金剛碑には山口孫左衛門(18話)の名が刻まれているというが確認できなかった

大洞家(69話)

大洞万之丞の養母おひでは佐々木喜善の祖母の姉
69話に登場する馬娘婚姻譚を語って聞かせたのもおひでである

田尻家の怪異(77話、79話、82話)

敷地内には実際に家人が居住しており撮影は控える

火石の石碑群

大槌街道と小国街道の分岐点に置かれた石碑群
新しいオシラサマの石碑(左)を発見
ここではオシラサマは養蚕の神と伝えられている

写真を撮っていると、荒神神社で出会った二人組の男性がやってきた。

あの後でどこかで食事と入浴をしてきたとのこと。

山口集落はけっこうな坂道で、車のほうが便利ではある。

足は痛むけど、伝承園にたどり着くまでは我慢だ。

集落を後にして、県道340号を北上する。

■不動明王尊■

手作り感の漂う鳥居と小さなお堂
中にはこれまたユニークなお不動さん
幣束も新しく、手入れが行き届いている

気になったのは不動像の右にある沼御前のお札だ。

沼御前は沼沢湖(福島県)に棲むヌシ(大蛇)で、領主の佐原十郎義連に退治された後、沼御前神社に祀られた。

こちらでは水神として祀っているという認識でいいのだろうか。

巨石の合わせ目から木が生えており、そばには湧き水も
お堂を建てた者は御神気を感じとったのではないか

■山崎金勢様■

遠野でよく見る庶民信仰の一つに金勢様(コンセイサマ)が挙げられる。

金勢様を祭るお堂
神額には金勢神社と書かれている
男性器を模した石もしくは木製の像がご神体で、生殖や生産を祈願する

16話にも登場するのだが、

コンセサマを祭れる家も少なからず。この神の神体はオコマサマとよく似たり。オコマサマの社は里に多くあり。石または木にて男の物を作りて棒ぐるなり。今はおひおひとその事少なくなれり。

と、どこかそっけない。

オコマサマとは駒形神社で馬の神を意味するが、里に多くあるかというと、どうも最近はそうでもないようだ。

むしろ愛宕神社境内でも見たように、コンセイサマが優勢といえる。

コンセイサマ賽銭箱
ちょっとどころではなくレア
コンセイサマのスタンプまである

この後、約5km離れた伝承園(②にて紹介)で食事にありつく。

ランチタイムの伝承園セット
右下は岩手の郷土料理ひっつみ汁
美味しゅうございました

■常堅寺■

蓮峰山常堅寺は延徳2(1490)年の開創
「曹洞宗にて、遠野十二か寺の触頭(筆頭)なり」(88話)
山門にある仁王像
早池峰山妙泉寺(現・早池峰神社)が廃寺になる際に移したもので、慈覚大師円仁作と伝えられている
観光客的には河童淵で有名
いわれはこうだ
河童狛犬
頭の皿には御浄財(笑)
こちらが河童淵
糸にキュウリを結びつけて河童釣りができるというが
河童のスーパーパワー
→頭の皿から水を吹き出して火事を消し止めるぞ
河童くん、いつか戻ってきておくれ

■倭文(ひどり)神社■

「しとり」ではなく「ひどり」と読む
倭文神社といえば織物の祖神・タケハヅチ神なのだが

文殊菩薩を祀っていたというのだから寺のお堂だったのだろう。

遠野市公式ウェブサイトによると、

かつては『遠野物語』の話者・佐々木喜善もこの神社の宮司をつとめていた。

村長になったり宮司を務めるなど、ただの語り部にとどまらない佐々木の多才ぶりがうかがえる。

村を出なければよかったのに(涙)。

■遠野市立博物館■

ふくらはぎは痛いけど、なんとか本日の予定は終了。

閉館まで、まだ時間はある。

企画展をしっかり見て、パンフレット(やることリストの1)を買わないとね。

入口のところで、またしても二人組の男性に出会った。これで三度目。

向こうはこれから帰るところだという。

どこまで行ったのかと尋ねられたので一通り説明すると驚かれた。

六神石神社や不動明王尊は行ったことがないとのこと。

「そうですか。あなたはなかなか根性があるなあ」

「天気がよかったんで、けっこう走れちゃいましたね」

自転車で走れはするが、歩くのはきびしかった。

当初行く予定だった福泉寺は境内をすべてまわると2時間かかるというので断念。

伝承園も敷地内の半分ほどしかまわれていない。

そうか、根性か。大事なことを忘れてたよ。

根性とは、物事を最後までやり抜く精神力だ。

結果はどうあれ、投げ出さずにエンドマークをつけられた者だけが、次のステージに進んでいけるのだと思っている。

二人に別れを告げ、企画展を見てからドラッグストアに向かった。

消炎鎮痛剤が配合された塗り薬と、併設されていた100円ショップでヒザ用サポーターを買う。

登りで足を痛めた。

つまりは山の神に試されているということだ。

泣き言をいうために遠野に来たわけじゃない。

ならば、この痛めた足で遠野七観音を踏破して、山の神に認めさせるまでだ。

俺の気合いと、根性を。

[根性試しの日の出アタック ⑥につづく]

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