「やめてやるよー!」と泣きながら出社しました
「今年のシュトーレン出来たから、朝のおめざに食べる?」
この時期になると、妻は毎年シュトーレンなるお菓子を焼いてくれる。甘く洋酒がたっぷり入った焼き菓子だ。日持ちもするので、僕は何日もかけてちょっとずつ食べるのを楽しみにしている。
その日はスタンバイ勤務だった。スタンバイ勤務とは、パイロットが急に足りなくなった時に飛ぶ、その日の予備のパイロット要員で、会社に行って事務所をフラフラしてれば良い仕事だ。だから、普段のフライトの勤務とは違ってだいぶ気持ちが緩んでいる。
「わーい!出来たのね。いいね〜もらう〜もらう〜。今日はスタンバイだけど多分フライトはないから〜、うちにいる時しか食えないしね〜」
甘いものが大好きな僕は、どこまでも呑気だ。
「一切れにする?二切れにする?」
「どうしようかな〜太っちゃうな〜」
究極の選択を迫られながらも、嬉しくてしかなたい。
ここから僕の中で脳内会議がひらかれる。
甘いものは好きなのだけれど、食べると太るかもしれない。でも朝のカロリーは消費されやすいから太りにくいし、何より朝の甘いものは脳みそのスイッチを入れてくれるので、結局は体に良いはずだ。
そういう結論になって、二切れを選択する。
「やっぱり二切れだろうな。せっかくだから」
何が「せっかく」なのかよく分からない。
頭のスイッチを入れるのに二切れはいらないのではないか?とか、そもそもスタンバイ勤務だから朝から全力で頭を使う必要はないのだとか、そんな論理的な思考は好物のシュトーレンを前に吹き飛んんでいる。
そんな頭がお花畑になっている時に電話がかかってきた。
あいにく、会社からだ。
「おっさん機長さん、すいません。病欠者が出て急遽〇〇便をお願いしたいのですが…」
「え?ショーアップ何時?」
「10時です」
「え〜!すぐ会社行かなきゃいけないじゃん」
「すいません。お願いしますぅ〜」
病欠者なら仕方ない。誰だって病気になるし、僕自身も先日休んだばかりだ。
フライトは嫌いではないし、スタンバイ勤務より楽しいけど、いきなり言われるとちょっとガッカリだ。
「フライトになっちゃったよ〜。すぐ行かなきゃ」
「どうする?シュトーレン」
切り立てのシュトーレンの皿を持って、妻が心配そうに言う。お菓子とはいえ、アルコールが入っている。
「う〜ん」
「ん?どうするの?」
どうすんだ、シュトーレン。これこそ究極の選択だ。
またもや脳内会議が始まる。
パイロットが乗務前にするアルコール検知機は精密で、納豆やオロナミンCにすら反応する。だからシュトーレンを食べると間違いなくアルコール検知機が反応する。食べないと反応しない。当たり前だ。
そもそも選択なのか?
「う〜ん………う〜ん……食べたい」
情けない小声で応えると、妻は困った。
「私が聞いているのはあなたの希望じゃないんだよ。最終決定なんだよ」
僕は泣いた。
「じゃあ、やめるよー!やめてやるよー!やめればいいんだろー!」
そうして僕は、泣きながら出社しました。