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パイロットに必要な能力とは?

「パイロットになるには、どんな能力が必要ですか、今から僕は何をすれば良いのでしょうか」
 航空教室などで、パイロットへの質問コーナーでよくある質問である。
 パイロットになるにあたって、特別な能力はいらないと思う。あまり普通の人がやらない仕事だから、すごいことのように思うかもしれないけど、普通の能力があれば良い。
 車の運転はほとんどの人ができる。それと同様に飛行機の操縦も、それ自体は誰でもできるものだ。ただ旅客機のパイロットは他人の生命を預かるので、規律とか真面目さは求められるし、操縦技術を始め求められる能力もの水準もそれなりに高いかもしれない、でも頑張ればできる程度のものである。空間認識能力がとりわけすごいとか、計算がすごく早いとか、頭がキレるとか、そんな能力はいらないと思う。一定の水準にはいっていれば良い。

 副操縦士の時に、料理の好きな機長がいて「料理の段取りを考えることは、パイロットの仕事に通じる。料理のできない奴は良いパイロットにはなれない」といっていた人がいて「困ったな。俺作るより、作ってもらって食べる方が好きなんだけどな」と思ったものだった。でも機長になって何年も経った今は、料理を作る能力がパイロットに必要はとはまるで思えない。人間は概して自分のやっている仕事はすごい事だと言いたいし、自分にはすごい能力があると言いたかったりするし、パイロットは特にその傾向があるけど、仕事の熟練というものは日々の努力の積み重ねで身につくものだと思う。才能はほとんど関係ないと思う。
 
 そう思う僕でも、これだけはあった方が良いかな、というのはある。
 航空大学校では訓練が終わると、毎回、訓練日誌を教官に提出する。最初の訓練後、訓練日誌を提出したら次の日に突き返された。「出来なかったことを書くんじゃない。どうすればできるようになるか書きなさい」と言われた。何々ができませんでした、これができませんでした。たくさん出来なかったことを並べて、「そうしないように次回頑張ります」と締めくくる。きっとそんな訓練日誌だったのだろう。良い子の反省文である。
 でも、これではダメなのである。「反省ならば猿でも出来る」というフレーズがあったが、まさにその通り。訓練時間は短い。昨日できなかったことは、今日はできなくてはいけない。あるいは完全に出来なくてもそれなりの進歩が要求される。出来るようになるためになにをすればいいのか、それを自分で考えないといけない。
 自分で考える能力、それが一番大事だと思う。

 今の現場でもそう感じる。機長と副操縦士のペアは毎回変わる。一人の副操縦士を誰かがつきっきりで教えるわけではない。その時の出来た事、出来なかった事を機長は指摘するけれど、なぜ出来なかったのかの分析は本人しか分からない部分も多い。副操縦士は失敗した理由や、自分は本当は何ができないのかを、自分で考えなくてはいけない。
 プライドが高い副操縦士は間違いを素直に認められないし、あるいは失敗したことを「たまたま今回は失敗しただけ」と決めつけたりする。自分にとって不都合な事実を直視するのは、気分が悪くきついものだ。でも、出来なかったことを直視して、そこで止まらずに「なぜ出来なかったか」を考えて、それを改善するためにどんなトレーニングが自分に必要か、自分で考える必要がある。
 だから、伸びるのは自分で考えて努力をする副操縦士だ。

 僕がパイロットになりたいと言った時、母は「幼稚園生になる前に、伊丹空港の飛行機が真上に見えるところに連れった、あの時じゃない?あれでパイロットになろうと思ったのよ」と言った。小さい僕は頭の真上を爆音で通り過ぎる旅客機を見て「しゅげー!」って連発して感動してたらしい。母は、あの時の感動があったから、息子はパイロットを目指したのだろうと思っている。
 それはそうかもしれないけど、今の僕はまるでその時のことを覚えていない。
 僕にとっての「あの時のあれがあったからパイロットになれた」って思い出すのは、小学校の時の記憶だ。
 学区の端に住んでいた僕は、普段遊ぶグラウンドが遠くてあまり友達と野球の練習ができなかった。だから練習と言えば壁に向かって一人でボールを投げ続けるしかできなかった。一人で投げ続けるのは、最初は寂しかったけど、投げ続けるうちに上達するのが嬉しくなった。やらされているのではなく、少しでも上手くなりたいという思いで、自発的に頑張った。そう思って黙々と頑張った経験があったから、パイロットになって長い訓練を続けられたのかな、と思うのだ。

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