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チッ!面倒くせえ!APUが壊れた!


  先日の某日は天気が良かった。目的地空港の天候も良い。上空の揺れも少なそうだ。僕は上空で高度を変える可能性も低いし、目的地の空港に行って着陸ができないなんて可能性も少ないだろうと判断していた。だから会社の担当者が「燃料はこれぐらいで良いでしょ」と言ってきた、燃料の計画をそのまま承認した。要はパイロットからすると、何もマイナス要因を考える余地のない、楽なフライトだ。僕は副操縦士に「今日は特に…何もないね。よかったね」パイロットらしい、爽やかなニッコリ笑顔でそう言いながら、飛行機に向かった。
 
 パイロット同士が、PBBと言われるターミナルから飛行機につながった廊下ですれ違うときは、二つのことを伝達する習わしになっている。一つは飛行機が正常であること。もう一つは上空の揺れについてである。その日は上空の揺れもないしと思って「OKだよね。Shipもエンルートも」とすれ違う後輩の機長に聞いたら、彼は笑うセールスマンの喪黒福造みたいにニヤリと笑って「すいませ〜ん。壊しちゃいました〜APU」と言ってくる。「うわ、マジ?面倒くせぇ〜」思わず僕は顔をしかめる。
 
「面倒くせえ〜」とはパイロットにあるまじき不謹慎な発言だが、面倒くさいものはしょうがない。呑気に聞こえるかもしれないが、飛行機自体に不具合があるわけではないので、割と呑気でいられる。ただ、本当に面倒くさい。どれだけ面倒くさいか、これから説明するが、その説明の途中で面倒くさいなと思ってくれたら、飛ばしてもらっても良い。僕の本意は理解されたと思うからである。
 APUが壊れると、どれくらい面倒くさいか説明したい。APUとは補助動力装置と言って、要は小さいエンジンである。それが旅客機のお尻の先についている。これで飛行機が地上にいる時の①機内電源②空調③エンジンスタートに必要な空気圧の3つを賄っている。それが正常に作動しているから、お客様が飛行機に乗るときに快適な照明と温度が約束されているのだ。
 それが壊れている場合は、飛行機に①外部電源と②客室の空調用グランドエアと③エンジンスタート用のコンプレッサーの3つの管を機体の右側に接続する必要がある。そんなに細いものではない。ものによっては消防車の放水ホースよりもずっと太くて重かったりする。持ったことはないが、相当重いはずだ。放水ホースと違って中は空洞ではない。そのため地上の係員はもしかしたら何人か増援をして、大忙しで働くことになる。だからAPUが壊れると、きっと整備さんを含めた地上係員たちも「面倒くせえ」と思っているはずだ。
 次にエンジンスタートであるが、これも面倒くさい。通常は誘導路まで力持ちの車で飛行機を押して行くとき、押されている間にエンジンスタートをする。しかし今回は3つの管がついている状態でエンジンをかける必要があるので、駐機スポットで停止している間、左側のエンジンのみをスタートする。なぜ左側かというと、右側に3本の管が繋がっているからである。
 左側のエンジンをスタートをする。コンプレッサーの圧力が上がり、普段と違うけたたましい音と共にエンジンスタートをする。とてもうるさい。左側のエンジンが作動したら、パイロットは機内の電源を作動したエンジンの発電機に繋げ、地上係員は大急ぎで機体の右側に繋がれた3つの管を外す。急いでやってくれるが、それでも2、3分はかかる。
 その後、管制官に許可をもらって、飛行機を車で誘導路まで押す。通常は押している間にエンジンスタートするけど、できない。なぜなら右エンジンスタートの空気圧を確保するために左のエンジンを吹かして必要な空気圧を確保する必要があるからだ。片方のエンジンを吹かすことは実はそれなりに危険だ。機体の方向が急に変わって、押している車が吹っ飛ぶ可能性もある。だから安全な場所まで車で押して、停止してパーキングブレーキをセットして、車を飛行機から外して、周りに人や車がいない事を確認してから、左エンジンを吹かす。その圧力を使って右側のエンジンを始動させる。これらの作業をいちいち地上の係員とインターフォンで連絡をとりながら行う。当然だが、時間がかかる。

 とりあえず、面倒くさいのが分かってもらえたと思う。
 その時は、車で押してもらっている間に横に他社機がいるのに気がついた。このままだと、僕らのエンジンスタートが終るまで、彼らの進路をふさいでしまう。思わず管制官に「ここでエンジンスタートをしても良いんですか」と聞いてしまったが、管制官は「良いんですよ」と言う。でも、その他社機は良くないでしょう?もう到着スポットが目の前なのに、足止めになってしまう。早くエンジンかけなきゃとプレッシャーがかかる。
 ちなみに僕は地上ではゴーイングマイウェイの我が道を行く自由人だ。家庭内ではわがまま勝手すぎて、妻には「2歳児のようだ」と言われる。それでも、飛行機を操縦する時は周りの飛行機や管制官やお客さんに気を使う。たまにCAや副操縦士にも気を使う。のんびりした、わがままな僕でさえ、多大なプレッシャーやストレスがかかる。機長とはそういうものだ。その時も、申し訳ないな、と思いながらエンジンをかけた。
 僕らがエンジンスタートして、滑走路に向けて動き出した。その後、おそらく定刻を遅れて他社機が駐機場に入る。めでたし、めでたし?

 いや違う。これで終わりではないのである。これで終わるならまだ良い。面倒くさいだけだ。でもこれでは済まない。面倒くさいだけではなくて、エンジンスタートに時間がかかる。遅れるのである。
 この便もAPUが壊れて8分くらい時間がかかって離陸した。この8分は、国内線では致命的だ。
 8分を取り返さなくてはいけない。そのプレッシャーはパイロットの肩にかかってくる。幸い今日の上空の風は追い風でスピードが出る。でも、それでも遅れそうだ。スピードを上げる必要がある。エアスピード計と睨めっこ合いながら、限界まで飛ばす。これを30分とか続ける。これも結構気を使って疲れる。
 頑張り続けて30分、疲れたけど遅れを取り戻しつつある。なんとか定刻に間に合いそうだ。そう思いながら、空港の管制官と交信すると、何機も着陸を待っているのがわかる。
「まいったな、何番目だろう?えーっと7番目?うっへ〜全然遅れ取り返せないじゃん。ここまで頑張って飛ばしてきたのに」
 これでさらに疲労感が増す。
 
 今日は、まだ1便目だ。今日はこれを何便もやらなくちゃいけない。最初の便の着陸前なのに、もううんざりしている。

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