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山にもらったこと 「厳しさも優しさも、冷たさも温かさも。すべては自分しだい」 〜ヒマラヤ山行篇⑥ロブチェBC→エベレストBCの4日間→カトマンズ

ヒマラヤ11日目。エベレストBCへ向かう朝。
実は近藤隊長は、ディンボチェに入った頃から体調不良だったにもかかわらず、皆のロブチェピーク登頂が終わるまではと無理してくださっていたらしく。この日、療養のためヘリで一旦カトマンズへ戻られることになリました。同じく、同行してたアウトドアブランドColumbiaスタッフの伴さんも、発熱のため次の便でカトマンズへ戻ることに。
伴さんが発つ前、会話した時のこと。「ロブチェ登頂、やりましたねー」と労いの言葉をもらって「あんなに助けられて、自分で登ったとはとても言えない」と答えると、伴さんは「どんなに助けられたって、ナオさんの脚が動かなければ、登りきることできないんですから。自分で登ったんですよ」と返してくれて・・泣きそうになってしまった。

(思い返せば一年前、伴くんからヒマラヤ山行の楽しさを聞いたことも、初めに「ハイキングなら」と思い立ったきっかっけでした。)

お二人を見送ったら、一路エべレストBCヘ。けれどロブチェピークでの疲労が祟ってか、もうしんどくてしんどくて。今度はスタッフガイドのゆうと君に、ザックを背負ってもらう始末・・

(一人、ザックを背負ってない私・・すみません)

こんなの、これまでの日本の登山ではあり得なかったことで、私はもう、登山ができない体になってしまったのか??と撃沈。やがて「見えましたよ、エベレストBC!」の声に目を凝らすと・・・

(広大な氷河帯の脇に広がるキャンプ地。右手奥に頭を見せているのがエベレスト。空の蒼が濃すぎる!)

通常4〜5時間の道のりをたっぷり6時間かけて、入り口に到着です。

(数年前に建てられたという、ヒラリーさんとテンジンさんが描かれた看板。以前はその後ろにある大岩が玄関の目印だったとか。)

BCは広すぎて、入り口から自分たちのキャンプエリアに着くまでも遠く、20分はかかったかしら。その奥にも他の遠征隊のテントエリアがいくつも続いていて。岩がゴロゴロしているようですが、この下はすべて氷、だそう。

(世界中からなんてたくさんの人が、この地を目指して集まっているんだろう。)

そしてここが、アドベンチャガイズのキャンプエリア。

(白いドームはみんなのリビングテント。後ろの家形のテントはエベレスト隊の人たちの住まいテント。立ったまま入れて、中にはベッドも。我々のテントは少し離れた場所に。)

この日は各々テントをもらって、ごはんを食べて終了。我々ロブチェピーク隊は明日から3日間、完全にフリーの日々。散策は明日からゆっくりと。

(BCでのマイルーム。二人用のテントを使わせてもらいました。ありがとうございます!)

ヒマラヤ12日目、BC2日目。ただただ、エベレストの麓でのんびりする数日の始まりです。

(リビングテントの中。それぞれに思い思いの時間を過ごします。)
(リビングテントの傍にはキッチンテントが。またここで、美味しいご飯を作ってくれます。)
(キッチンテントの中。立派な厨房!)
(これまでずっと、毎夕食の前に、とてもいい香のする熱っ熱のおしぼりが配られており。一体どこから調達してるんだろう?と思っていたんだけど、その答えがこれ!こうやって毎回ゴシゴシ手洗いで、清潔で熱々のおしぼりを用意してくれていたんです。この笑顔!もう感動ものです。)

BCに入ってしまうとエベレストは見えないけれど、どこを眺めても雄大で美しく。お天気にも恵まれ、痛いくらいの青い空。飽きることがありません。

(宇宙に近いんだなー、と思わせる空)

ヒマラヤ13日目、BC3日目。
朝からシェルパのチェパさんが、BC全体の散策に連れ出してくれます。
多国籍なキャンプを見て回り、帰りはERへ。クンブコフ(クンブ氷河の激乾燥に喉がやられて痛みや咳が止まらない症状)が悪化しつつある仲間が診てもらうのを見学。無料で診察と薬の提供を受けることができます。、

、(BCのER外観。向こうの奥に見えるのは「エベレストの娘」と呼ばれる、プモリという山。)
(医者が外人、というだけで、ドラマっぽい。笑)

AGのキャンプへと戻っていると、向こうから大きく手を振る人が・・近藤隊長がカトマンズから戻ってきてくれた!思わずみんなで走り寄ります、まるで、ハイジがおじいさんを見つけた時状態。笑。スタッフガイドのゆうと君は、近藤さんの「俺の留守中よく頑張ったな」の言葉に、涙!いじらしい〜。21歳、初めてのガイド山行で、ワガママなおじさんおばさん相手に、本当によく頑張ってくれました。

午後は隊長が、周囲の氷河の中を散策に連れて行ってくれます。

(氷河の成り立ちや、どれくらいの年月をかけてこうなったかなど、色々教えてくださり・・)
(スターウォーズごっこ?本当はまだ本調子じゃないだろうに、遊んでくれる隊長・・泣)

ヒマラヤ14日目、BC4日目。
この日はネパールの大安日。エベレスト隊のために、プジャ(安全祈願の祈禱)が行われます。

(祈禱台の周りにさまざまな供えものが積み上げられて)
(登山者のブーツやアイゼン、ピッケルなど、登攀に必要な道具も一緒に祈禱してもらいます。)

街からヘリで到着した(であろう)お坊さんを迎え、祈祷の儀式開始。エベレスト登山者は、また順にカタと赤い紐を首にかけてもらいます。

(何やらお供物を待たされる近藤隊長と、エベレスト隊の一人、ヒデさん)

最後に神様への捧げ物である小麦粉を天に向かって舞い上げ、それを頬に塗りあって、プジャ、終了。その後は標高5350mで飲めや踊れやのお祭りが!

(後にエベレストサミットを成し遂げたヒデさんと)
(大きくて優しいシェルパ頭のチェパさん。近藤隊長とはキッチンボーイの頃からの信頼関係)
(スタッフガイドのゆうと君と一緒に、隊長に絡んで大はしゃぎ。)
(ネパールの民族ダンスを踊りながら練り歩く、隊長とティリンさん。)

やがて夜。私たちにとってはBC最後の夜。
近藤さんが、日本から持参したギターを取り出し、奏でてくれます。

(ひょっこりひょうたん島の歌が、絶妙に良いんです!)

私は、チェパさんが近藤さんを呼ぶ「バラサーブ(隊長)」の言い方が大好きで。親愛に満ちていて、愛らしくて。もうその呼び声を聞けなくなるのかと思うと寂しくて、涙が出てしまって困りました。

ヒマラヤ15日目。エベレストBCを発つ日。
キッチンスタッフが作ってくれる最後のご飯を食べて、昨日のプジャ台の前で記念写真を撮ったら、いよいよ・・

(エベレスト隊は、この先1ヶ月、BC〜C4までを繰り返し上り下りして高度順応し、登頂に挑むとのこと。感服しかありません。)

これからが本番のエベレスト隊の皆さんに見送ってもらって、バックキャラバン開始です。

(これがまた下りとはいえ、10日間かけて来た道を3日で戻る、という超ハードな行程で。全ての記憶が掻き消されてしまう恐れすら感じる過酷さだったのです。汗汗)

途中、見たことのない、美しい鳥がゆったりと現れて。

(チベッティアンピーコック、という名だそう。※写真:味はるの達郎さん)

旅の終わりに後ろ髪引かれる私たちを、先へと促してくれました。
(2024/04/22-25)

ハードなバックキャラバンを終えてカトマンズに戻った私たちは、ネパールスタート時と同じ、FUJIホテルに数日滞在して体を休めます。

(ここでモーニングしていると、旅の始まりかと錯覚してしまう。)

ぼんやりした時間の中。この3週間が嘘のように思えてくる。写真を見直しても、夢を見ていただけのような・・けれど一緒に歩いてきた仲間の存在が、現実だったんだと教えてくれます。

土埃舞い上がる山道、声をかき消す暴風。脚を苛める岩の道、氷の壁。厳しい、辛いと感じたことは、壮大な自然のほんの一部のあるがままで、私が、自分がそうしたくてそこに関わろうとしただけ。自然にとってはそんなのどうでもよくて、拒絶するでも許容するでもなく、ただ、そうあっただけで。指先の凍えに怯える冷気の中にも、自分が望んで入って行った。自然は山は、ただそこにあるだけ、そうあるだけ。大自然に、寛容さや温もりを感じられるか、感動を得られるかどうかは、己の度量と技量次第なんだな・・回らない頭の中でそんなことが巡った数日でした。これまでの登山では、いろんな力に登らせてもらっている、と思ってきたけれど。こんな感覚を持ったことはなかったんじゃないかな。これまでの山旅とは、明らかに違う何かを、私はこの山旅で得ることができたんじゃないのかな。(何か?は定かじゃないけど。苦笑)

ネパールを発つ夜。現地ガイド会社グレーシャーヒマラヤのスタッフの方々が、空港まで付き添ってくれます。最後の最後までホスピタリティの高い振る舞いに触れて、1ヶ月近い日々、仕事とはいえ、一体この人たちに、どれだけ助けてもらっただろう、癒してもらったことだろう、と思い入り・・。
ネパールの人たち、という「自然」からもらった、優しさと温かさを、胸に刻んだのでした。
2024/04/26-05/03
(終)















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