『秘密のデート』
もう二度と、元には戻れない。
ボーダーラインを超えるのは簡単だけど、道を逆走はできない。
お互いに気付いているのだけど、失うのがただ怖い。
私は今、ラブストーリーもののドラマの主人公だ。
いや、そんな綺麗なものじゃないか。そんな自問自答を渋谷駅のホームで繰り広げながら東横線に乗る。
会うのはいつも横浜だ。
なんで横浜って、ちょっといけない恋を描いている歌が多いんだろう。別に千葉でも埼玉でも変わらないじゃん。あ、でも夜景が綺麗なのは横浜なのかな?だから横浜が舞台なのかな。
そんなことを考えながら、今日も「いけないこと」をする。
このご時世、こんなことしてたらダメなんだろうな。親にも友達にも言えないし。なんでこんなことしてるのだろう。
自由が丘、田園調布を超えて、電車は多摩川に差し掛かろうとしている。
金曜日の夜の東横線は、まるで注ぎたてのビールの泡のように人が密集していて、いまにもこぼれそう。
会って、中華街でご飯食べて、バーでお酒飲んで、それからボウリングして、大黒ふ頭で夜景を見て、それから…
いつも通りのデートプラン。
いつも通りなんだけど、いけないことなんだけど、なぜかドキドキする。
明日は彼、家族サービスとか言って、奥さんと娘さんと上野動物園に行くって言ってたな。そういや。
じゃあ、彼とは始発でお別れか。私はどうしよう。一緒に始発で帰ろうかな。それとも1人横浜で朝ごはんでも食べようかな。
”普通の人”を好きになっていたら、こんなこと考えないのだろうな。
武蔵小杉を停車したところで、乗客は結構降りていった。
私と彼は、たった10時間だけのカップル。20時から翌朝5時まで。それを超えると他人同士。
”他人”って言い方はちょっと可哀そうかな、とも思ったけどそれ以外に言葉が見当たらない。私にボキャブラリーがないのか、それとも私と彼の間柄に名前がないのか。
電車はどんどんと神奈川県を進んでいく。
私がすごした大学の近くの駅に停車した。
日吉に住んでいたころ、こんな恋愛をするとは思ってもいなかった。しっかりした大人になれると思っていた。
そんなことが頭の中によぎった。でもどうでもいい。
私のやっていること、もし同じことを芸能人がしていたら、このご時世ネットで総叩きだろうな。大学時代の私だったらボロカスに言ってる。
でも、今となっては世間を騒がすスキャンダルにあれこれ意見を言えるような身分ではなくなった。だって、私もおんなじことしているんだもん。
電車は横浜に到着した。
ホームに降り立ったところでスマホを見る。
『少し遅れる』という文字と彼の名前が緑のアイコンとともに光る。
しかたないなあ。いっつも待ってるじゃん。
とりあえず改札を出て、人が少ないところへと向かう。
AirPods Proをカバンから取り出し、スマホをペアリングをさせる。
Apple Musicで音楽でも聴いて待っていたら、そのうち来るかな。そう思いスマホをタップしていく。
「サザンオールスターズ、全曲解禁」
そういや彼、サザン好きだったな。
今日、サザンがサブスク解禁したよって教えてあげよう。いやさすがに知ってるか。ネットニュースでも流れていたし。
それにしても、900曲以上も曲があるってすごいよね。ちゃんと聞いたことがある曲はそんなにないんだけど、『真夏の果実』とか『TSUNAMI』なんかは聞いたことあるよ。いい曲だよね。
じゃあまあ、900曲以上もあるんだし、彼にこの曲聞いたよって話せるし、シャッフルして聞いてみるか。
AirPods Proから流れる、明るくも切ない曲。つい耳に心地いいメロディだったので画面に歌詞を出して目で追う。
これ、私のことじゃん。
気付いたら、大粒の涙とともに彼が目の前に現れた。
二度と戻れないドラマの中の2人。
私たちは、ただ臆病なだけ。
だから、もう少しだけこの関係性でいよう。
明るくて、切ない、ちょっとだけ毒を含んだこの曲のようなそんな関係性で。