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似たもの親子

人に話しかけることが苦手。
だから新しい環境は苦手。
あれ?これって私のことでもあり、うちの子のことでもある。

話したくないわけではない。
仲良くなりたくないわけでもない。
でも、何だかタイミングも話す話題も分からないのだ。
恥ずかしくてできないという気持ちがないわけではない。
しかし、それ以上に本気で分からないのだ。


多分これはうちの子も同じだと思う。
何となくタイミングを逸してしまう。
他の子と話してるときはダメだよね。
何か作業に集中しているときもダメだよね。
かと言って、周りがシーンとしているときは余計に声を出せない。
じゃあ一体いつ話しかけたらいいのだろう?

さて、何を話せばいいんだろう?
これは本当に浮かばない。
分からないことは自分で調べたり考えたりすればいいと思ってしまうし、相手自身のことを聞くのは不躾なような気がしてしまう。
じゃあ一体何を話すのだろう?

話しかけられないのは何でなのか。
自分が変に思われたくないから?
その人にとって迷惑をかけたくないから?

要は、自分に自信がないのかもしれない。
自分が自分のままでいていい気がしないのだ。
自分がこの場でどうあればいいのか分からないうちは自分が出せない。
(いや、これでは必ずしも自分が出せることにはならないな)

自分を出していい場であることを納得できない限りはずっとビクビクしている。
ずるいかもしれないけれど、相手が自分のことを見つけてくれることを待ってしまっている。 
その代わりとは言ったらなんだけど、周りの人のことはめちゃくちゃ観察しているから、そのうちその人に合わせた対応はできるようになるのだけど。

多分、これってこのまんま私の性質を子どもも受け継いでしまっている気がする。
いや、子どもと私は別人格なのだから、ほんとのところは違うのかもしれない。
でも、今のところは似ている。
(とは言え、私の子ども時代はちょっと違ったはずだけど)

発表しない、質問できない、前に出ることが好きじゃない、友だちができるのに時間がかかる…
うーん、これらを克服しなさい、とは言えないな。


私と子どもは別人格の人間なんだけど、やっぱり似ているところはあって、思考パターンとかが読めてしまうことも多い(と思っている)。
だからこそ気になってしまうのかもしれない。

自分の弱点、苦手なことは見たくないし触れられたくない。
なのに、子どもを通して見えてしまうし、触れざるを得ないのが、知らぬ間に苦しいのかもしれない。
何とかしないといけないと思いこんでいるのかもしれない。

この呪縛から逃れられたとき、親子ともに気持ちが楽になるのかもしれないな。

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