未完成なものへのいとおしさを胸に。
困ったことにバーナード・ウェーバーの絵本のことを書こうと思っただけで、アドレナリンの分泌が激しくなりマス。
ウェーバーの絵本、ホントにいいんですよねー。
「ワニのライル」シリーズは、いわずもがな。
「アイラのおとまり」なんてもう、鼻のアナをふくらませて、「コレはいいのよ!なんでかっていうと…」って力説しちゃいたいほど。
今日、ご紹介する、「アリクイのアーサー」がアメリカで最初に出版されたのは1967年のことなので、もうかれこれ50年以上前になるんです。この本がのら書店サマから邦訳出版されたのは2001年。
90年代生まれの我が家の息子たちに繰り返し読み聞かせた絵本です。
『アリクイのアーサー』 バーナード・ウェーバー・作 みはらいずみ・訳 のら書店
さて、内容は。
大雑把に言ってしまうと、アリクイのお母さんが、息子のアーサーを、「ちょっと、こまった子」と表現し、どんなところが「こまる」のかを告白してゆく・・・という筋立てになっております。
なんて書くと、「なんだ、わたしと一緒じゃない!息子や娘に関するグチなんて、山ほどあるわよっ!」っていう、お母さん、お父さん、多いかもしれませんよね。
ハイ、当時のわたしも、例外ではありませんでした。
でも、アーサーのお母さんはちょっと違います。
こんな前置きをしてから、告白が始まるのです。
「アーサーは、やさしくて、おてつだいができて、おもいやりがあって、おぎょうぎがよくて、おりこうで、ききわけがよくて、たよりになって、こころあたたかくて、だきしめたくなる、もんくなしに、すばらしいむすこです」。
こんなことを言われた後で、「でも、こまった子なんですよッ!」と言われれば、「なんだ息子の自慢話かーい?」ってあなどって、だーれも親身に「告白」を聞いてくれないでしょうね。
自分や身内の自慢話なんて大っぴらにすれば、お口あんぐりされちゃうのが、この国の国民的感情の特徴とも言えますからねー(個人的にはどんどん自慢した方がいいのに…っておもうけど)。
あえてわたしは、アーサーのお母さんに味方します。
そもそも親というものは、子どもの「困ったところ」を愛しているんですよね。
子どもの困ったところ。
それは、親が考える「常識的な人」と比較して欠落した部分のことです。
発育途上の子どもなんだから、足りないところがいっぱいあって当たり前なんだけれど、親って、子どもに文句を言い続けながらも、そこを集中的に「愛して」しまっている自分を認められないのも事実なのです(かなしいよね…)。
だって親は、子どもを「一人前」にしようと日々努力しているからねー(「かわいいから、いいの、いいの」って、丸ごと許したいけど許しちゃいけない…っていう自分がいるんですモン!)。
アーサーのお母さんは、この本を読む子どもたちに教えてくれます。
「カンペキないい子になんてならなくたって、お母さんは、今のままのキミがだいすきなんだよ」って。キミの「こまったところをほんとは愛しているんだよ…」って、ね。
そして絵本を読み聞かせている親たちにも、伝えてくれるでしょう。
「子どもは、未完成だから愛される存在なのです」と。
このあたりのことは、当然のことのようで、案外親は自覚していないかも…と思います。
しかし、親というのは辛いですねぇ。
我が子の「未完成部分」を愛しながらも、日々「完成」に向けて努力しなければならないんだから。
子育てのしあわせと背中あわせのツラさに光をあててくれた、作家ウェーバーには感謝したいですね。
「未完成のもの」への愛おしさを再確認してみたくなる、そんな一冊です。