なんのためにいきてるの?
おなじみミヒャエル・エンデの書いたおはなしです。
私は子どもの本に「〇歳から〇歳」などと対象年齢を指定をするのはあまり好きじゃないのですが、この絵本は小さい人から大きい人まで、さまざまな読み方が出来るのでは?と感じます。
「エンデは理屈っぽくて好きじゃなーい!」という人の声も聞いたことがありますけれど「何かに考えさせられる」「答えを導くために思考する」という経験は子どもたちにとっても大切なことだと思います。
主人公のアエルという名のテディベアはものすごく年をとっています。つぎはぎだらけなのです。
アエルの持ち主である子はもうずいぶん大きくなっちゃって、縫いぐるみのアエルとは遊ばなくなりました。
アエルは一日中同じ場所に座っているのですが、それもこのごろ嫌になってきたところ…。
ある日、一匹のハエがアエルの鼻先にとまって、こんな質問をしたのです。 「きみはなんのためにここに座っているの?」哲学のようなハエの質問に、テディ・アエルは「それって大事なこと?」と聞き返します。するとハエは「もちろんさ、だれだって なんかのために生きているんだから…。」なんて偉そうなことをのたまう…。
絵本「テディベアとどうぶつたち」岩波書店
文:ミヒャエル・エンデ 絵:ベルンハルト・オーバーディーク 訳:ささきたづこ
「じゃあ君はなんのために生きてるワケ?」なんてアエルに代わって切り返してやりたくなっちゃう、ちょっと憎たらしいハエ!
真面目なアエルは、自分に向けられたその質問の答えを見つけるために立ち上がって歩き出すのです。
旅の途中、たくさんの生き物に出会って「なんのためにみんなは生きているの?」と質問するアエルに、これまた様々な答えを返してくる動物や昆虫たち。
アエルはとまどいながらも旅を続けます。
ネズミには「だいじなのは家族を養えること」だと言われ「きみには家族が養えるか?」と訊かれたり、ミツバチには「せっせと仕事をするため」、鳥には「ばかげたことに頭を使うのをやめろ。まわりを気にせず、ずうずう
しくやるんだ」なんて吹き込まれる。
「美しく生きることが大切だ」とする白鳥、「数えられるものだけに意味があるのだ」と言うカッコウ、「なかまを作ってボスに従う、組織の中でうまく暮らしてゆくことが大事だよ」というサル、挙句、ゾウには「魂を持たない縫いぐるみは捨てられるほかないな…」などと言われてしまう。
「お まえは食べられる物じゃないから、なんの役にもたたない」とヘビにいじめられたあと、出会ったチョウに「よりよいものに変わってゆくために生きている」のだと言われるアエル。
そして最後の最後にアエルが出会ったものとは…?。
「なんのために生きているか」という問題は、私だって即答できません。
人それぞれの価値観の違いもあるでしょうし、年齢や環境によっても様々な答えがあることでしょう。
子どもたちが知っておいたほうがいいと思うのは「みんなちがって、みんないい(by 金子みすゞ)」というお互いの違いを認め合う姿勢だと思いますから、まずはそこを伝えてくれる優れた絵本だと思います。
そして私が思うのはもうひとつ。率直な子どものギモンに答えられる用意をしておいてあげたいな…と(読み終えたあと、きっと子どもは「それで…けっきょくアエルはなんのために生きているの?」 と訊くでしょうからね…(^▽^;)。
「愛されるために、そして愛するために… だとお母さんはおもうよ」。
この言葉は絵本にはありませんが、私は幼かった子どもたちに答えました。
あの頃の私は、たぶん自分のためにもそう答えたかったんじゃないかと思います。
素直に信じられたら、生きていくことが少しだけ楽になるんじゃないかと思うから…。