血まみれなバトンを受け取る子らへ。

 今日は、ティーンエイジャーから上の世代に強烈におすすめしたい詩集をご紹介します。
企画構成をされた山本純司さんの熱い想いから、この詩集は世に出ました。

「手から、手へ」(池井昌樹/詩 植田正治/写真 企画と構成/山本純司 集英社)


 生きている(生きていた)時代も場所も生活もジャンルも違うふたりの芸術家(詩人と写真家)。
池井昌樹(以降、謹んで敬称略)の一篇の詩と植田正治の連続写真のみの構成だが、時代を超えた家族(いや、人間と言ってもいい)の普遍性をみることができる。

「やさしいちちと/やさしいははとのあいだにうまれた/おまえたちは/やさしい子だから/おまえたちは/不幸な生を歩むのだろう」

なんと忌まわしい。なんと的を射た詩句であろうか。

「…やさしさだけをてわたされ/とまどいながら/石ころだらけな/けわしい道をあゆむのだろう」
と続く。

 人は人生の中で不条理なことや不本意なことに出くわす。
そして、人生のどの地点でその苦さを味わったとしても、親は「たすけてやれない/なにひとつ/たすけてやれない」のだ。

それでも「やさしさは」棄ててはいけないもの。
「このちちははよりもとおくから/受け継がれてきた/ちまみれなばとん(バトン)なのだから」

 ここにある「やさしさ」とはいったい何だろう…。血にまみれているいのちのバトンとは。
わたしは繰り返し考えてみる。


 単なる人の為に尽くすとか、困っている人を助けるとかの利他的な意味ではない(とおもう)。
歳を経て、わたしなりにぼんやりとわかってきたような気もしているが、その答えは読む人それぞれに委ねたいと思う。
きっと正答なんてないと思うし。

 最終連で池井は、「やさしさを捨てたくなったり/どこかへ置いて行きたくなったり/またそうしなければあゆめないほど/そのやさしさがおもたくなったら/そのやさしさがくるしくなったら」
とにかく…「おまえたちを/こころゆくまでえがおでいさせた/ひかりのほうをむいて」いなさい…という。
ひかりから眼をそむけるな…と。

「やさしさ」と「ひかり」。
これが何のメタファーなのか…野暮な推測はするものではないが、生きていく上で大切なものであるのは間違いなさそうだ。
植田正治が撮る不思議な家族が、時空を超えて迫って来る。

 別の詩集で池井昌樹と谷川俊太郎の対談を読んだ。
そこでもこの詩のことが話題になっていて、池井さんは「手から、手へ」は「書いたのではなく、書かされた」と仰っていた。
詩人は時に、大きな存在の聞き書きを任されたりすることがあるのだなぁ。

 2012年。図書館の新刊棚でこの詩集を見てすぐに購入した。棚の前で立ち読みしながら涙があふれた。

 わたしは詩集を手に取る以前に、恵比寿の東京都写真美術館で開催された「植田正治・写真の作法」という展覧会を観ていた。
出会うべくして出会った詩集であるような気がした。

もうこれ以上の言葉は不要だと思われるので…。
ぜひ、読んでみてください。

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