桃から学んだ心の形
いよいよ桃のシーズンが到来した。私にとっても忙しくなる季節だ。
毎年、出荷できない痛んだ桃を安く買い、ジャムにするのが趣味なのだが、いつもの農家が「今年は成りがよく、痛む桃が少ないので申し訳ない」と話していたのがつい先週のこと。
5日後、再び電話がなった。
「大風で木が折れて、傷のついた桃がたくさんできたので、取りに来て」との一報だった。
現地に着くと、丸々と大きくなったのに傷がついている桃がたくさん横たわっている。「やった!たくさんある」と心の中で呟いたのだが、横を見ると農家の方は残念そうに眺めていた。
自分の心の狭さを痛感した。他人の不幸の上に自分の幸せを築いている感覚が垣間見えた瞬間だった。
農家は傷モノを作ろうと汗を流しているのではない。食べる人が喜ぶ桃を夢見て作っているのだ。
タダでもらうはずの傷ついた桃の隣にある別の桃を買うことにした。せめて労働の対価というか、感謝の気持ちを伝える意味でも。
帰って早速ジャムを作る。甘さに応じて砂糖の量を変えるのだが、今回は糖度が高いため、分量は桃の15%に。爽やかな甘さの桃ジャムができた。小分けして毎年楽しみにしてくれる友達にプレゼントすると、早速、感想の声が届いた。
「めっちゃ美味しい!」「桃の香りが漂う」「朝から幸せな気持ちになった」
農家の人が一生懸命に育てた桃。それでも傷ついた桃。その桃を食べた人が喜んでくれた。微力ながらお役に立てたのだと思うのは、桃だけに、自分に甘いのだろうか。
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