
バカヤローおじさん
先日、朝一番で娘を整形外科に連れていった。
左足のかかとが痛むらしく、その経過を診てもらうため。
経過は順調。
時刻は午前9時20分。
2時間目の授業には間に合いそうだ。
電動自転車に娘をのせて、病院から小学校まで送り届けた。
体育は休んでいいからね
そう伝えて、手を振る。
昇降口に入る娘を見送って、電動自転車を走り始めた。
家に帰る道すがら、前から恰幅のいいおじさまが歩いているのが見えた。
年の功は50代前後だろうか。
近づくにつれて、何やらブツブツ言っているのに気づく。
すると、
バカヤロー!
だから、〇〇って言ってんだよ!
宙を見ながら、急に声を荒げてきた。
あら、何か嫌なことでもあったのかな?
神さま。どうか、この人が幸せでありますように。
心穏やかに祈り、颯爽と走れた。
そして思う。
事象に対する私の反応が変わっていたことに。
春が近づくと、前記のような方と時たま出くわす。
何やらブツクサ話し、眉間にシワを寄せて、世間に対して怒りを表す。
以前だったらそういった態度を示されるだけで、心が乱れた。
関わりたくない!巻き込まれたくない!
なんなの、あのおじさん。
わざわざ外で怒りを出して、構ってほしいの?!
心がモヤモヤ。
怖いのと気味が悪い気持ちが重なる。
そして、怒りに怒りがつい反応していた。
さらに、心の中で相手を見下すことで、自分がちゃんとした人間であることを確認していた。
表面には出してないものの、私も内面ではおじさんと同等のことをしていた。ただ、声を出すか、出さないかの違い。
そうやって、私は人の言動を無意識でジャッジしていた。
世間に迷惑かけない
人に恐怖を与えない
いつでも朗らかに
そうやって自分を努めていたのは、人の目を気にして生きてきたから。
人から良いように見られたい欲求が強かった。常に肩こりだったのは、ずっと力が入っていたからだと思う。
それは、根底にある自分への自信のなさに起因する。
人から承認されることで、自分を保っていた。
優先すべきは評価されること。
常に他人からどう見られるかを優先して生きていたから、自分軸からずいぶんと外れていた。
それが、今は人からどう思われるか気にならない。本当に嘘のよう。
その境地に至れたのは、徹底的に自分と向き合ってきたから。
自分で褒めて
自分を労って
自分に寄り添って
頑張ってきた自分を、私が認めてあげた。
他人ではなく、自分であることがポイント。
そしたら、人の目が気にならなくなった。
だって、評価されずとも今のままで私はパーフェクトだから。
人に合わせてカスタマイズしなくていい。
それがやっと分かり、楽になれた。
自分が満たされたら、私を頼ってきてくれる人の一助になりたい!
そんな気持ちが強まった。
やっと視界が開けた。
だから、バカヤローと文句を言うおじさんを見ても、心は揺れない。むしろ、寄り添いの気持ちが湧いた。
きっと彼に、数か月前までの他人軸に翻弄されていた自分を照らし合わせたんだと思う。
自分でも信じられなかったけど、私自身が証明した。人は何歳からでも変われることを。
・変わりたい人
・発信したい人
・行動したい人
そんな人たちのサポーターでありたい。
もっと自分を信じて、自分を活かせる人が増えてほしい。それが私の望み。
必要としてくれる人のスイッチを押して、一緒にチャレンジしていきます。親しみと愛、受け入れで、みなさんを包み込みます。
私自身も発信を480日連続で更新し、新しい行動をしているからちょっと先行く先輩として背中を見せられたらと思います。
気になる方は、ぜひ私のメンバーシップへお越しくださいね!
まずはお試ししたい方は、単発セッションもオススメ。
3月に入ったら、枠を出す予定です。しばしお待ちを🎵
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