人は次の瞬間に変わりゆくもの
清々しいほど、気持ちがブレずに当日を迎えました。そう、今日は七五三の撮影日です。
「どちらでもいい」というのは、息子が和装と洋装を着るかどうか。
以前の私だったら、こう考えていたでしょう。
けれど、今の私は違います。
どちらでもいい。
つまり、着てもいいし、着なくてもいい。
言い換えれば、すべての息子を受け止めています。
その行動に良い悪いもありません。
潜在意識でのジャッジもないし、コントロールもありません。
なんなら、「どちらでもいいよ〜」と、微笑んで待っているイメージ。それくらい気持ちに余裕を持てたんです。
思い返すと、私は息子の行動が理解できずに、みんなと同調させようと、私のエゴを振りかざしていました。
息子がイヤと言えども、強行突破は当たり前。
と、自己中心的に動いてきました。さも、私がすべて正しいかのように。母なんだから、私がこの子を導かなきゃと表面では思っているものの、心の中では意のままに動かそうとしていました。
でも、いつだって息子は全力で抵抗してきました。
そうやって主張をしてくれていました。
誰の目とか関係ない。自分にとって心地いいことをしたいと、自論を曲げませんでした。
私は人の目を第一にしてきたから、息子の行動を受け入れると親子ともども目立ってしまう。
そこに長らく葛藤がありましたが、度重なる息子の癇癪の結果、自分の言動を見直すことに。
そこから、息子から見える世界を少しずつ観察したり、一緒の時間を過ごしたりしました。
すると、みんなにとっては何でもないことが不快だったり、違うことに興味があったりすることに気づきます。
たとえば、大きな音が苦手だったり、誰も気づかないような小さく描かれた絵や数字を見つけるのが得意だったり。
息子なりの表現で世界を見ていて、それを一生懸命伝えようとしてくれていました。
それを見ていたら、息子の世界を大切にしたいという想いが強くなり、息子の快を後押しするようになったのです。
彼の素晴らしいところを見ては、
「ステキだね」「よく気がついたね」「大好きだよ」「大丈夫だよ」「ママの子どもに生まれてきてくれてありがとう」
そんな言葉を、毎日毎日伝えていました。
多分、最初は私自身も口だけだったと思います。
芯からは、息子を受け入れられなかった……。
でも、今はこの息子以外はありえない。
本当に私は幸せな母だと心の奥底から思えています。
息子が身をもって、自分軸を通す姿を見せてくれたおかげで、私は人の目を気にしなくなりました。
誰に評価されずとも、仕事の金額が伴わなくても、私には価値があるし、愛されている。
息子が身をもって証明してくれました。
だからこそ、七五三の撮影も結果を手放せました。
とワクワクした気持ちを抱いていたら、息子が着替えて登場してくれたのです。
慣れない雪駄を引きずりながら、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに。
あの場面は一生忘れません。
そうやって枠を決めていたのは、紛れもない母の私でした。
それを身をもって息子が壊し続けてくれました。
子どもでありながら、私にとってはメンター。
今は制服を着なくても、次の瞬間からは変わるかもしれません。それは全てに言えること。
そして、私も同様に。
息子から学んだ大切なスタンス。
これからも大切に、道を選ぶ際の指針として活用していきます。