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胃腸炎にかかり、弱ったから気づけた奇跡

どうにも胃腸炎が治りきらない。

ご飯は食べられるけど、食べると胃液が急激に出て、胃を攻撃してる気がする。
実際に、食後は胃からせり上がってくる感じがする。
でも、お腹が空くのはありがたいなぁ。

少しだけでも仕事を進めようとするものの、30分もパソコンに向き合えない。
集中しようとすると、疲れてしまうのだ。
日ごろどれだけの集中力を要してるのだろう。
当たり前に仕事してる自分が、すごすぎる。

今まで症状がなかったのに、久しぶりに寝倒したら肩甲骨と背中が痛い。
今まで痛みを奥底にしまってきたのだろう。
ありがとう、私の体。
詰まった背骨を伸ばすように、椅子を使って反り返り。
ひたすらローラーやボールも使って、肩甲骨周りや背骨に沿ってもみほぐし。
少しずつ改善する私の体。
丈夫な体に感謝です。

Xにて、能登地震や羽田事故に関するポストを見ると引きずられて、正直ツラいです。


東日本大震災のとき、わが家も震度6強を体験しました。

当時の私の職場は12階で、激しく揺れました。揺れが止まると、非常灯がぼんやりと点いていた。避難していいのか連絡もなく、みんなオロオロしていると、当時の部長のひと声で外へ避難。

外は寒いうえに、庁舎内にいた人が全員外に出てるから騒然としていました。誰かの携帯で、火災の様子が映し出されて、実家もつぶれてしまったのではと気が気でなかった。

信号も電車もストップ。かろうじて、バスが運行してて、最寄り駅近くまで30分のところ2時間かけて走った。信号がついてないからバスの運転手さんも緊張しただろうな。

たまたま、職場の方がご近所にいて、2人でバスを降りて、真っ暗な道を家の近くまで歩きました。多分、時間は6時ごろ。停電してるから、やけに星空が明るくて、こんなに星が瞬いていたんだって感動した。そんな状況でもないのに。

家に近づくと、わが家の周辺は電気がついていて、まぶしいほどだった。職場から通常30分のところ、3時間かかって無事に帰れた。

母も自宅も無事で安堵した。
何度も電話しても通じなかったから。

当時、働いていた父も、無事に帰ってきてた。

水道も電気も無事だったけど、線路が壊れて通勤電車がストップ。そこから自転車通勤に変換。片道40分を走るように。
家もヒビは入った程度ですんだ。
部屋の中はぐちゃぐちゃだったけど。

震災後の週末はずっと津波の映像を見てたら、気分が悪くなり、実家ではテレビをつけずにラジオで情報を収集した。

それでも地方公務員であるため、原発から避難した方の受け入れや、がれきの受け入れ、計画停電の旗振り役など、気丈に振る舞わないといけない立場であった。自分の心を押し殺してた。

でも、やっぱり怖かったし、感受性が強すぎる自分には、いろいろなものを受け取ってしまいしんどかった。なんだか急に、今のタイミングでフラッシュバックしてる。

もしかしたら、体が弱ってるから、感知できたのかもしれない。本当の想いに気づけてよかった。

13年が経っても、強烈に残ってる。

だから、現地の方々や当事者の方々には申し訳ないが、私は情報から少し離れます。

私は子どもたちを守りたいから。

胃腸炎になって体が弱ったら、ありがたい状況に気づけた。

私たちの周りは奇跡で満ちてます。
生きてるってすごいことなんだな。

命あることに、ありがとうございます。

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おーつー(冨田裕子)
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