東京ポッド許可局。
好きなラジオ番組を3つ挙げろと言われれば「東京ポッド許可局」はまず最初の方に出てくる。
こないだ「25歳だった論」というのがとても面白かった。
マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3人がそれぞれその時に何をやっていたかという話。
(このアップロードはダメなやつなのかな。)
という事で自分の25歳の時はどうだったかなーって考えてみたらなかなかのターニングポイントだった。
1980年生まれなのでちょうど2000年で20歳。
2005年が25歳にあたる。
そのころはDripというバンドをやっていて、それなりにちゃんと活動をしている自負はあった。
ものすごい時間とお金をかけて、ちゃんと計画を立ててアルバムを作り、東京・名古屋・大阪のツアーを組み、ツアーファイナルワンマンを新宿JAMで企画した。
そしてバンドは解散した。
ライブのブッキング、調整、アルバム作成の制作費、ツアーの調整などほぼ自分ひとりでやっていた。
自分が一番そういうのに向いているし、やりたかったからやっただけ。
そこは全く苦などなかった。
正直かなり焦っていた。
何か結果を出さないと、もっとバンドの活動のスピードも上げたい。
誘われるライブも増えた、なるべく断らずに全て受けたい。
バンドメンバーとの活動の考え方のズレは確実に感じていた。
でもそのスピードは緩めたくなかった。
最初で最後のツアー。
大阪の帰りの車の中でメンバーの1人が脱退を申し出た。
このペースじゃちょっときつい、との事。
「あー終わったなー」と思った。
多分みんなそう思ったろうけど口には出さなかった。
解散を決めた日は覚えている。
盟友のハードボイルドというバンドの企画ライブの日。
場所は下北沢屋根裏の楽屋。
2005年11月23日の事。
ホームページに解散の発表をしたのが12月1日。
解散ライブは12月17日。
バンドをやっていない自分は考えられずに、バンドをやれないなら死んでも良いとわりと本気で思っていた。
奇しくもFOOL&SCISSORSと出会ったのも2005年だ。
これは下北沢BASEMENT BARの周年イベントで対バン。
もちろんオレは鹿児島から出てきたFOOL&SCISSORSというバンドを認識していたし、ものすごく憧れていた。
打ち上げで安楽さんと話し、同じ鹿児島出身であること、ライブが最高にかっこよかった事を伝えた。
その数日後、偶然にも三鷹でばったり再会。
そこで改めて連絡先を交換する。
確かFOOL&SCISSORSもその年の10月くらいに安楽さん以外のメンバーの脱退を発表した。
年が明けてすぐに安楽さんに連絡して、一緒にバンドやりませんか?と自分から言った。
確か2月には初対面の久富くんと会って3人で酒を飲んだ。
その時に今年中にワンマンをやることを決めた。
そしてちゃんとその年の9月に下北沢shelterでワンマンをやった。
2005年の25歳の時のオレはバンドがないと死ぬと思ってた。
FOOL&SCISSORSが解散した2013年5月の時点の33歳になるオレは、これ以上バンドをやったら死んでしまう、ていうか死にたいと本気で思っていた。
改めて極端な人間だな。
しかし良い経験になったのは確か。
どんなに仕事が忙しくても「あの頃のバンドやってた頃に比べれば屁でもない」っていまだに思う。
地獄を見た人間は違う。
やりたいことを自分なりにやり通した結果という事は言わずもがなだけど。
25歳のオレが今のオレを見たらどう思うだろう。
もう少しシャキッとしないとな。
こんな世の中だからって甘えてるわけじゃない(と思いたい)けど少々ショボいかもなー。
ていうか年号がそもそも間違ってたらどうしよう。
いやたぶん大丈夫。
ていうかどうでも良いか。