しんろなやみ

語弊や穴や整合性を鑑みずにつらつらと私の考えを書いてみようと思う。
4月12日、13日

筆者が進路の選択に際してデジタルゲームに対するアナログゲームの位置について悩むのは、権威というアイテムを求めていることに起因すると思う。
権威が無ければならない、無ければ求めなければならない、権威が無ければ客観に対して価値が証明できないという人生に対する習熟の少なさによって処理しきれていない強迫観念があるのでは、とも思うが、逆にそれほど未熟な状態でも存在する概念なのだから、権威というアイテムの影響力はやはり大きいようにも思う。
局所的に成熟していると言える人はいるだろうが、人は基本的に常に未熟で、権威を嫌うことは成熟のバロメーターとしては歪であり、未熟さを嫌悪することで未熟である人に許容されなくなる。
なら私は未熟さを許容しようと思う。
自分は未熟である人に許容されたいのか?と自問しようとするが、問うことで答えが得られなくなることもある。

多くの人に許容されることは大事だ。
排斥される可能性を抑えることができれば、自分や子孫が排斥の波に反発して殺人を犯したりすることはなく、排斥する側になるようなことも避けられれば逆に殺されたりすることもなく、結果的にに血脈が絶えるような事態を避けられる。
誰でもそうだろうが、人生において幸せであることは大事だ。
極力手元にある幸せを保ち、無闇に人を不幸にせず、なんだかんだ生きて死ぬことが大事だ。
もっと大きな幸せを得るために今の幸せを手放すのもまたその人にとって幸せなことだろう。
私はこういった幸せを考えた時、自分の遺産、遺伝子、血脈が途絶えないことだと考え、許容されることについて先述した。
私は死にたくなるまで死にたくないが、現実に切迫した時落差で苦しまないように事実を直視すれば、それはきっと叶わない。

いや、まだよく分からないけれどもね。

死にたくなくても死んでしまうなら、自分を少しでもこの世界に居残らせようとなる。
ーーーこれ以上のこのベクトルでの追求はあまり有意義では無いと私は考える。
理由の理由の理由と続けていけばなんとなくに行き着くものだからだ。
なんとなくは解明されていないことで、説明できないことで、恐らくは言葉で言い表せないほどの小さかったり大きくすることであるからだ。
因みに人は常に排斥しているされているなんて言葉と問答するつもりは無い、そういう仔細の話を私はしていないし考えていない。
生活にて重きを置いていない訳では無いが、この話とは関係が無いと感じる。
私はよくよく言葉の尻を追うし、言葉にされていないこと、していないことを勝手に事実として判断するのも避けていて、それほど言葉というものに拘っているが、言葉にも限界はある。
それは難解な物事を専門的な知識が無くても分かるように説明すれば必ず厳密で専門的な観点においてズレが生じるのと似ていて、今私は言葉にし難いものを言葉にしているから常にズレを生じさせている状態なのだ。
振り子の残像のようにそのズレは本文を挟む形で2つ存在する。
それは言葉としての不適切さと、無形である思考の説明としての不適切さであり、私はこれらを基本的に論外としている。
勿論もっと適切な言葉はあるのかもしれないが、他人の言葉はあまり馴染まないものだし、自身である私が思慮した言葉は暫定的にこれらなのだから、仕方が無い。

さて、前提の平並べに間をとったが、結論から考えると私は楽をしたいのだと感じた。
楽をしたいことを後ろめようとしていたし、しなければいけないと思っていた、やはり苦悩には脅迫が付き物のようだ。
突然だが好きなことでもないのに頑張れる人を、尊敬とまでは言わないが凄いと思う。
趣味を仕事にするという楽そうで苦しいような選択をする人は、少なくとも私は、楽をしたいんだろうなと思うし、それは客観からすればある種当然で何を今更と言えてしまうかもしれない。
ただ落ち着いてスッキリと自覚するにはそれなりの手間と舌尺と要して自分が受け入れられるほどに自分によって練り込まれたスッキリフレーズを用意しなければならない、自覚も納得も進歩も中々に難しいものだ。
楽をしたい人は判断も楽にしたいので楽そうなものを選ぶし、私のこの管を巻き続ける思考はあくまで趣味の中でどちらにしようかというもので、真面目で宜しくはあるが、やはり私は楽をしたい人であり……みんな楽したいと思うけども……まあ皆楽したいよね……何が言いたいかと言うと、恐らく一定の領域に踏み入る前の現状では、趣味を仕事にする楽さしか目につかず苦しさは予想できても体感仕入れていないということで、更には楽をしたい私はそれについて今更よくよく考える気なんて更々ないという話なのだ。

思い切りのいいことを言えば、楽は罪ではなく、楽をしようとすることが人類の歩みなのだから、私もそれに乗じて何ら問題は無く、また私もそれによって自分が損なわれるとも思わないから楽で生きていける道を選べばそれで良いのだ。
さてさて、楽についてまたまた管を巻いたが、私はデジタルゲームに比べアナログゲームを作ることが簡単であり、またゲームと言えばデジタルゲームが連想されるほどある種デジタルゲームがゲームの主流であることに悩んでいたのだ。
更に“何故私が直感的にデジタルゲームの下位にアナログゲームを配置しようとしているのか“という話である。
自分の体が勝手に動き出して、その理由に思考を巡らせているような状態で、正直当惑、錯乱している。

アナログゲームはデジタルゲームに比べて前時代のもので、創造的な部分を除くと制作の労力が少なく、非制作者と非習熟者が遊ぶのに手間がかかり、その位置関係からアナログゲームに興味が無い人でも知っているアナログゲームなどは非常に限られている。
デジタルゲームとアナログゲームの違いに、作るコストと遊ぶコストの割合が真逆なのが挙げられ、故に簡単に作るならアナログゲームだけど“いいもの“を作るならデジタルゲームだよね!というような流れができてしまうのだーーー私の中で。
いいものとは作品的なもので、またその中でも高尚であったりハリウッド映画的に“本場“ぽかったり……そういうニュアンスだ。
ハリウッド映画がマニア的に〜という仔細はまた論外で、私の知見の中で言わんとすることは分かる以上を目指して言語化した結果がこれなのだから、取り敢えずは受け入れて欲しい。
また市場としても、デジタルゲームの方が巨大であり、アナログゲームよか食っていける可能性だとか人に職業を言った時の受けの良さだとか、俗なイメージなのでこの際説明はすっぱ抜くがそういうのが
私の中にはあるのだ。
総じて、アナログゲームよりもデジタルゲームのような作るのが大変でそれに見合うほど大層なものの方が“作家的“であり、また両者が揉み合うほど市場が割れている訳でもなく、アナログゲームにはなんというか……華が無い。
そうだ、長々と書いたが、華が無いのだ。

私はアナログゲームを人と喋りながら遊ぶのが好きだし、1人でひたすらに作るのも好きだが、華は無いと思う。
個人の意見であることは当然なので改めてそう言って縮小させる気は無いが、本当に華が無い。
アナログゲームは手早い私の制作スタイルによく合っているが、そういう華がないことで何処かデジタルゲームが上等でアナログゲームが下等であるような感覚ができ、自分の才能が程度の低いものの才能であったように感じてパニックになり、悩んでいたようだ。
冷静にパニックになると人は悩み、ある程度論理的に考えつつ何も分からない日々を送るようだ……

そして、物事に上下を付けることをおいそれと蹴るのも私の趣味では無いのが困ったところであった。
上下を付けるのが趣味な訳では無いが、何分そういう価値観を聞いてきたし、やはり気になる。
広大なものを二次元的なチャートに落とし込むことを漠然と否定するのは、その漠然さに逃避したい未熟さだと私は思う。
(逆に二次元的なチャートにしようとするのも物事を小さくしないと扱えない未熟さとも言えるが)
他人のそれを拒絶はしないが、そうする私を自覚した時、私はそれをきっと許容しない。
ただ、上下を付けずとも世界には天地があり、敗者と勝者のように必ず非対称な二分が存在する。
ーーーここで必ずなんて言うなと今思った。
アナログゲームが今下であると思われていると考えていて、その状態で二分を肯定してしまったら勝っても負けても何かしらが不幸になってしまう。
ーーー確かに上下付けるの良くないなあ!
このような拒絶と許容と定義と忘却を無限に繰り返していては死ぬまで進めなくなってしまうので手始めにローテーションを乱して少しずつ進歩しながら生きているのだが、いやはやとにかく大変だ。

とりまず私はアナログゲームを作りたいし、それを趣味の範疇でしょ?と言われるのは辛く苦しいものがある。
デジタルゲームも作りたいし、ただ私はあまりできないことをできるようになるまでの労力を支払えるタイプの人じゃない。
非生産的な決めつけは良くないが、意に反する激励も疲弊を産む。
アイディアには自信があり、それを伝える言語力や知見も、モラトリアムの中で培っていく腹積もり。
たまにその自信が無闇に揺るがされることもあり、そんなことして誰が幸せになんの?お前幸せなの?とかったるくなることもある。
ただ多分、やっぱり私は今暫くはゲームを作るのが好きで、それに向かって進んでいくと思う。

あと声優!声優にもなりたいな!
俳優は合わなそう!大変そうなんだ!
大変なことだらけでもそれぞれに適正が存在する!それを才能と──呼ぶにしろ僕は全ての価値観における才能を持っていますのでおやすみなさい。
ここまでありがとう!

読み飛ばして来た君!そうかそうか。

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