将の器は得難し 【『十八史略』韓信】
この言葉にもあるように、「将の器」というものは、なかなか巡り会えないものです。
漢を興した皇帝・劉邦の元に来た「韓信」は、そんな数少ない「将の器」の一人でした。
韓信といえば、『十八史略』に出てくる「韓信の股くぐり」の逸話が有名です。
韓信は、淮陰(江蘇省)の貧しい家で生まれました。あまりの貧しさのため、母親の葬儀も出せなかったと言われています。
ある日、城下で釣りをしていた時、近くで古い綿を水にさらしていた一人の老婆に出会います。
その頃、韓信は、何日も食べられない日々を過ごしていたので、老婆はその飢えた様子を見るに見かねて、食事を与えました。
そのまま、彼は数十日間、老婆の世話になったのですが、その時、
「自分が出世したら、必ず、この恩に報いる。」
と老婆に言いました。
しかし、この言葉を聞いた老婆から
「自活できないような者に何ができるか!」
と叱り飛ばされてしまいます。
韓信は、食べ物を恵んでもらうような生活を続けていたこともあり、彼をからかうために絡んでくる無頼者もいました。
彼らは、仲間が多いことを笠に着て、韓信に恥をかかそうとしてきます。
「貴様は図体ばかりでかくて、偉そうに長剣なんぞを腰に挿しているな。
やれるもんなら、その剣で俺を刺してみろ!
それが出来ないなら、俺の股をくぐってみろ!」
そう言われた韓信は、じっと相手を見つめた後、衆人環視の中、何も言わずに腹ばいになって、股をくぐったと言われています。
これらの逸話は、韓信が若い頃から「大志」を抱いていたことを示すものとして語られてきました。
特に「股くぐり」の逸話は、天下に志のある者は、無用の争いをしない「本物の勇気」というものを持っているということを教えてくれます。
本物の勇者は、「大望」や「志」を内に秘めているので、常人には分かりません。
偽者ほど、強がってみせるため、蛮勇を好みます。
喧嘩に明け暮れる不良少年などは、所詮小者と言えるでしょう。
そのような人たちは、天下国家を相手に戦いを挑むほどの度胸がありません。
人物の「器」が小さいので、「志」も小さいのです。
天下国家や世界を相手にしている人は、誰に言われるでもなく、密かに着々と準備を進めているものです。
大物とは、自然とそういうことが出来る人のことを言うのかもしれません。
実際に韓信は、後に漢軍を統率する大将軍となります。
漢の初代皇帝となる劉邦は、そんな韓信の器の大きさが分かりませんでした。
韓信の器の大きさを見抜いたのは、宰相の蕭何です。
韓信は、当初、敵である項羽の陣にいました。
いくつかの策を項羽に献じたのですが、全く相手にされなかったので、劉邦の陣にやって来ます。
最初から韓信の才を見抜いていた蕭何は、劉邦に推挙しますが、結局低い地位しか与えられませんでした。
韓信はその待遇を不服として、また逃げ出したのですが、その様子を見た蕭何は慌てて追いかけて、彼を連れ戻そうとします。
ところが、その二人の様子を見て、「蕭何まで逃げ出した」と告発する者が現れます。
これを聞いた劉邦は怒り心頭でした。
「今までは、たとえ脱走者がいても、そんなことをしたことはなかったのに、韓信の時だけ何故だ!」
と厳しく蕭何を問い詰めます。
これに対して、蕭何は次のように答えています。
蕭何が残したこの言葉は、歴史上、燦然と輝く名言といえるでしょう。
項羽を破り、楚王となった韓信は、悲しい最期を迎えています。
韓信が最期に吐露したこの言葉から、彼の無念さがひしひしと伝わってくるようです。