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静かなる全体主義を見破れ 【丸山眞男著『ファシズムの現代的状況』】

全体主義の本質を画一性conformityであるとしたのは、丸山眞男さんでした。

ファシズムの政治的機能の最も重要なモメントの一つとして、「社会の強制的同質化」あるいは「強制的セメント化」という言葉を用いましたが、・・・(中略)・・・どこでもこうした「強制的同質化」ということが大きな規模で組織的に行われるのです。(中略)
ナチでは「グライヒシャルトゥング」(Gleichschaltung)という言葉が盛んに使われましたが、この言葉はファシズムに内在する「強制的等質化」の傾向を最もよく表現しております。

丸山眞男著『超国家主義の論理と心理 他八篇』(岩波文庫)「ファシズムの現代的状況」より

この同質化とは、人々を「個性を洗いおとしたマス」や「砂のように無性格・無秩序な人間の量的な塊」に再組織するところにあると主張しています。

ファシズムは、一方でこのように人間を等質的なマスに解体すると同時に、このマスでつくられた社会組織をセメントのように固めます。(中略)
社会的流動性モビリティをなくして身分的に固定させたところに、社会的セメント化の核心があります。(中略)
そこでは政治的イデオロギーはもちろん、学問芸術分野に至るまで、厳格に「正統」とされた考え方に画一化され、一切の「異端」は・・・(略)・・・統制的に排除されます。こういう上から定められた規準への画一的な服従においてファシズムの等質化傾向は最も露骨に表現されます。

丸山眞男著『超国家主義の論理と心理 他八篇』(岩波文庫)「ファシズムの現代的状況」より

多くの日本人にみられる「同質であること」を歓び、同じでないことを「仲間はずれ」と考える気質は、常に全体主義に陥る危険性をもっています。
今風の言葉を使えば、社会は常に同調圧力によって個人を圧迫し、わずかでも違いを見つけると攻撃に回るような傾向は、現代でも全く変わっていません。
異質なものに堪えられないほど個人はマス化しており、「みんな何してるの?」と言った具合に、同調化と異端攻撃の隙を絶え間なく窺い、互いに牽制し合っています。

現代生活において国民大衆の政治的自発性の減退と思考の画一化をもたらす大きな動力があります。
それはいうまでもなくマス・コミュニケーションの発達によるわれわれの知性の断片化・細分化であります。(中略)
一つの事柄について持続的に思考する能力というようなものは段々減退して刹那々々に外部からの感覚的刺激に受動的に反応することだけに神経をつかってしまう。
ある事件や事柄の歴史的社会的な意味というようなことはますます念頭から消えて行くのです。
こういう知性のコマギレ化に並行して、思考なり選択なりの画一化が進行します。

丸山眞男著『超国家主義の論理と心理 他八篇』(岩波文庫)「ファシズムの現代的状況」より

この論文は、1953年2月に丸山眞男さんが日本基督教会信濃町教会で行った講演筆記に基づいています。
しかしながら、この時の主張が、現代の状況にも当てはまる警鐘であることは、すぐにわかるでしょう。
戦後すぐの時代は、新聞や映画、テレビや大衆雑誌といった媒体しかありませんでしたが、現代ではインターネットやSNS、オンラインゲームなどの普及によって、社会の「強制的同質化」「画一化」「セメント化」「知性のコマギレ化」は、加速度的に進んでいると言えるかもしれません。
むしろ、70年前に比べ、今の方が状況が悪化しているようにさえ思えます。
自分の足を使って探し求め、自分の頭で考えるといった自分の知性と良識の限りを尽くして行動することなく、スマホやパソコンの「検索」や一方的に流れてくる「情報」だけを頼りにしているようでは、既に「全体主義」は完成していると言えるでしょう。
第二次世界大戦は、自由主義陣営である「連合国」と全体主義陣営である「連盟国」との闘争という側面もあると言われています。
自由主義陣営の中心にいたアメリカによってもたらされたテレビや映画、雑誌といったマスコミに加え、比較的最近からのネット社会やゲーム文化が、日本の全体主義的傾向を促進しているのだとしたら、これほど皮肉なことはないでしょう。
現代では、日本人全体が無自覚にこれらの文化を受け入れていることから、社会の「画一化」「同質化」という全体主義的傾向が急速に進んでいるように思います。
私たちは、この目に見えない「静かなる全体主義」の危険性をしっかりと自覚し、「同質化」「画一化」に陥らないようにしていくことが求められていることを忘れてはいけないのです。

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