モノがもの申す その3
前回は、なぜモノが増えてしまったのか書いた。
もったいない気持ちが根底にあったことを書いた。
自分の基準が曖昧だった事も。
買うは易く、手放すのは難しい。
…ともかく。
なかなか片付けられずにいる、その時何が起きているのか。
⚪︎積んである本・・・「読んで、読んで〜」と呼んでいる…
⚪︎冷蔵庫の食材・・・「そろそろ傷んでくる感じですが…?」
⚪︎溜まったポイントカード・・・「交換まで後少しですよ」
⚪︎書きかけの日記・・・「ほらほら、三日坊主が10回続いてますよ?」
⚪︎パソコン・・・「プリンターと一緒に働きたいなぁ、買いません?」
⚪︎着なくなった服・・・「フリマへお嫁に行きたいんですが…」
⚪︎化粧水・・・「そろそろ無くなりそうですよ…」
⚪︎防災用の食材・・・「食べてローリングしないと!ストックは先入先出」
がやがや、どよどよ、ぐちぐち、さめざめ・・・
モノが喋っとる!
あああ、話しかけないで!
見ないでいれば、聞かないでいれば、済むかと思いきや、
目を開かなくては、耳を開かなければ、生活できない。
いや、スピリチュアルではなく、
実際に聞こえているわけでもない。
しかし、なんとなくそこにあるだけで、自分に向けて発信している何か。
やり残しているの、うん。わかってる。
中途半端なの、うん。わかってる。
…管理し切れないの、わかってる。
管理していないから、その
埃の溜まった、錆びついた、汚れた、色褪せたモノたちから
見てくれなくて「恨み魔〜す」
と言わんばかりの「何か」が発生していることに罪悪感を感じるのだ。
(罪悪感を感じない人も世にはいらっしゃいますが、それはおいといて)
たくさんのものを家に入れてしまったのは、私
たくさんのことを同時進行しているのは、私
しかし、私の脳内のテーブルはそんなに広くなくて、全部処理し切れない。
これを放っておくと、無意識に片付かない諸々のことに気持ちが引きずられて、今やるべきことに向けるエネルギーが削がれていく。
ミニマリストが物を減らす理由はこれが一番大きいのではないかと私は考えている。
いろんなことに興味があるのは構わないと思う。
しかし、気持ちが変わり、興味が他に移ったら、潔く今の興味に関係のないことを掃除してしまうのは、必須。
もったいない、こそが、”もったいない”!!
それぐらい、集中力を今必要なことに使える環境を整えること。
今まで充分使い切れなかったモノたちに敬意を表して、
速やかに退場いただくしかない。
お焚き上げの気持ちで、
ありがとうの気持ちで。
感謝を伴い、
思い出を綺麗に昇華していくイメージで。
(使いこなせなかった事も、失敗の経験。
自分には向かなかったと知ったという勉強代なのだ。)
そんなふうに一つ一つを片付けて行き、
身の回りにあるモノが、自分の手に負える個数に少しでも近づくように。
長年、おおてぼが取り組んできたことで
誰かの片付けのお手伝いをできないだろうか。