追憶
夏になると、亡くなった祖父を思い出す。母の両親は母が幼い頃に亡くなったそうなので、僕には父方の祖父母しかいない。
記憶のなかの祖父は、背が高くガッチリしていて白髪を整髪料で後ろへ撫でつけた髪型をしている。堂々としていてぱっと見は厳格でこわそうに見える感じだけれど、いつも優しかった。お酒が好きで焼酎の大きな瓶がいつもあったし、タバコもよく吸っていた。
幼い頃は年に2、3回、家族で祖父母の家に遊びに行った。
神奈川の住宅街に住んでいて、うちからは車で結構な時間をかけて行っていた。祖父母は、たまにしか会えない孫たちのために、いつも好物(僕は甘エビといくらが好きだった)をたくさん用意してもてなしてくれたし、年始には必ずお年玉をくれた。何を話したかはもうほとんど憶えていないけれど、多分学校でのできごとなんかを話していたんだと思う。「おじいちゃんちに行く」というのは、子供心に楽しく嬉しいことだった。
でもそれは、おじいちゃんおばあちゃんに会うことというより、美味しいものを食べられたりお小遣いをもらったりおもちゃを買ってもらったりできる機会が嬉しかったのではないか…といつしか自分を疑うようになった。
そんなの最低だ、と思った。
高校以降は自分のさまざまな予定で生活が忙しくなって、祖父母のところに行くことがなくなっていった。物的な欲望にまみれた動機で祖父母のもとを訪ねていたかもしれないことを後ろめたく感じていたのも、足が遠のいた一因だったように思う。時々電話をすることはあったし、父が一人で行ったときに近況を伝えたりしていたようだ。
その後、月日はあっという間に過ぎて、あまり連絡も取らなくなっていた。23で就職した頃、ふと「そういえばじいちゃんたち元気かな…」と頭に浮かんだ。久しぶりに訪ねようと思う、と父に話したところ、「じいちゃんは最近あんまり体調良くないけど行ったら喜ぶと思う」というようなことを言われた。
祖母に連絡をして日程を調整した。当時、僕は400ccのバイクに乗っていて行動範囲が広がっていたから、幼い頃はとても遠く感じていた祖父母の家は思っていたより近く、自分だけで行けるようになったことに月日の流れを感じた。ひさしぶりに会った祖母は以前とあまり変わらないように見え、元気だった。
祖父母の家は1階に和室があって、真ん中にこたつがあり壁際には掛け軸とか木彫りの熊とか陶器の人形がたくさん置いてあったりして、祖父のタバコの匂いがする独特の空間だった。子どもにはあまり楽しいものはなかったけれど、昔は2階のリビングにいるのに飽きると1階に降りて祖父とこたつに入って一緒にテレビを見たりしていた。
そのこたつが片付けられて大きな介護用のベッドが置かれ、祖父はそこに横になっていた。祖父の身体が細く小さくなったように感じたのは、自分が大人になったからなのかと思ったけれど、多分そうではなかった。祖母が、週に何度かは介護の人が来てくれる、というようなことを言っていたと思う。
そして、祖父は僕のことを忘れていた。
「それはそうだよな…」と長い間来なかったことを心から悔いた。祖母が「ショウ君だよ、〇〇(←父)のとこの一番上の子の!」と僕を紹介してくれて、それでも祖父は多分思い出せていないのだけど「あぁ…ああ、ショウ君か…」となんとなく話を合わせてくれた感じがした。優しくて、申し訳なくて、胸のあたりが詰まって息がしづらかった。
そのあと、祖母はお昼ご飯の支度をしに2階へ行き、祖父と二人で少し話をした。記憶にある祖父の姿と、目の前にいる弱々しい様子の祖父がうまく結びつかない。それに、僕のことを覚えていないから何を話せばいいのかと思ったのだけど、今まで聞いたことがなかった祖母との馴れ初めなんかを聞いてみたりした。言葉が明瞭でなくて聞き取るのはなかなか難しくはあったけれど、ゆうに50年は昔のことを思い出しながら話してくれた。当時を脳裏に描いている表情だった。戦争を経験している人だったし、きっと若い頃の記憶はいつまでも鮮明に憶えているのだろうなと思った。
僕は記憶力が弱くて、このときに話してくれたことを今は断片的にしか憶えていない。忘れたくなかったし、忘れないだろうと思っていたのに。薄れていってしまうことがおそろしい。今ここに書いていることも、忘れてしまうかもしれないという焦燥から言葉にしている。
しばらくすると祖母がお昼ご飯を祖父に持ってきた。メニューはトンカツで、「結構重いもの食べるんだ」と驚いた。祖母いわく、「食欲はちゃんとあるんだけど嫌いなものは食べないの」だそうで、このときもつけあわせの野菜は残していて、ちょっと笑ってしまった。
その後、僕も2階で祖母のトンカツをいただいた。リビングで祖父がいつも座っていた椅子にいないことにまた胸を詰まらせた。帰りたくないけれど長居できない、そんな複雑な気持ちだった。しばらく祖母と話をして、帰ることにした。
帰る前に祖父と祖母とセルフタイマーで写真を撮った。この日はキヤノンのコンデジを持っていたのに最後まで取り出す気になれず、結局帰り際のこの一枚しか撮れなかった。そして、これが祖父と撮る最後の写真になった。
この日からしばらくして、祖父は亡くなった。
葬儀が執り行われたのが夏の暑い日だったから、夏が来ると祖父を思い出す。
長い間会いに行かなかったことは本当の意味で後悔しているけれど、ふと会いに行こうと思い立って会えたこと、話をして写真を撮れたことは心の底からよかったと思う。祖父は…どう思ったのだろうか。
さらにしばらくして僕は結婚することになり、結婚式では自作のエンディングムービーに祖父と祖母と撮った写真を入れた。これを見た叔母が涙ながらに「最後に会いに行ってくれたんだね、ありがとう」と言ってくれたのが心に残っている。
実は、この大事な写真が今は見つからない。プリントをしていなかったからデータしかないのだけど、それがどのメモリーカードにもハードディスクにも見当たらない。幸い、この一枚は脳裏に焼きついているし結婚式で作ったムービーを見返せばそこにはある。でもやっぱり大事な写真はプリントしてアルバムにしておかないといけないと痛感した。
その後、子どもが産まれるたびに祖母には顔を見せに行ったけれど、つい自分たちの生活圏内で手も頭もいっぱいになってしまって、気が付くと祖母にも、自分の両親や弟たちにすらあまり会わなくなってしまっている。まったく薄情な人間で嫌になる。
でも今年はまた会いに行こうと思う。もちろん、祖父のお墓参りも。