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暗い朝。明るい朝。

「おはようございます!今日を始めます!」

メッセンジャーで挨拶することで僕の今日が始まる。

この言葉を僕は結構気に入った。早起きするぞチームのなかで自分がどう役に立てるかを考えて、一番早く起きてチームのみんなに今日の始まりをお知らせするっていう想いで「今日を始める」って言葉を使い始めた。

早起き習慣を始めてから感じたこと。自分が何時に今日を始めようとどこかの誰かの今日は既に始まっている。僕がいつもより早く家を出て6時台の電車に乗ろうと、どこかの誰かは毎日6時台の電車に乗って通勤している。僕のなかでは特別なことでもどこかの誰かのなかではそれが日常の世界。ただ僕がその誰かの日常の世界にお邪魔しただけ。5時に起きる人の世界もあれば、4時に起きる人の世界もある。6時台の電車で通勤する人の世界もあれば、8時台に通勤する人の世界もある。僕のなかではすごく特別なことだったけれど、もっと大きな目で見ると全然特別じゃないんだなー。って思う。誰かの世界にお邪魔しただけの話。ただそれだけ。

暗い朝。

僕が住む5時に起きる人の世界は、暗い朝で始まる。夜か朝かもわからないけれど、時計が5時を指していることで今を朝だと認識する。そう考えると朝の定義は意外と脆い。

3時に意図せず目が覚めたときに「朝」と認識するのか。あるいは「夜」と認識するのか。を考えてみると、僕は「夜」と認識する。きっと僕のなかでの「朝」の定義は「空が明るくなること」と「狙って起きた時間」。だから予定外の3時はまだ「夜」。8時に起きる人の世界にとって、意図せず5時に起きたとき、それは「夜」なのかもしれない。

僕が住む5時に起きる人の世界は、寒い朝で始まる。まあこれは今の時期だと6時の世界も7時の世界もきっと寒い。

僕が住む5時に起きる人の世界は、テレビやアニメで見るような太陽の日差しで目が覚めるような華やかしさはない朝。スマートフォンの目覚ましに叩き起こされる朝。スマートフォンからしたら「自分が設定したんやろ。ワイは設定されたから鳴っただけや。」っていう話。

僕が5時に起きる世界に住むようになった感想と言えば、早起きって明るくてキラキラしたイメージがあるけど、早すぎる早起きはほどほどに暗い。ということ。


明るい朝。

そんな暗い朝に僕がやっていること。日記を書くこと。

「モーニングページ」という書き方で、ルールはどんな内容でも話題でもいいから日記帳を1日3ページ埋めること。あとは、最後はポジティブで終らすこと。

日記を書くのに1時間の時間をかけている。すらすら書ける日もあれば、のたのたの日もある。前日に起きたものごとを取り上げて「なんでその行動をしたのか。」「なんでその発言をしたのか。」「なんでその言葉にしたのか。」「なんで相手はその行動をしたのか。」たくさんの「なんで」を解き始める。

「なんで」を解いていると、自分を知る冒険をしている感覚になる。冒険を進めていくと「こんな状況のときは僕は頑張れる」とか「こういう人と話しているときは楽しい」とか「これは嫌い」とかとか。自分で自分の「感情アイテム」を集めていく。集めたところでアイテムショップで売れるわけでもないけど、きっと「感情アイテム」は僕の経験値になってレベルをあげてくれていると思う。きっとね。

毎日1時間の冒険は最後はいつも「今日も頑張るか。」にたどり着く。アニメで例えるなら、ワンピースではなくドラえもん。1話1話で完結するストーリー。最後はオチで終わる30分。そんな感じ。僕の冒険も毎日1時間の完結タイプ。冒険の終わりはエンドロールも次回予告もないけれど、アニメを見終わったあとの「あー。今日も面白かった。」と冒険を終えたあとの「よし、今日も頑張るか。」は似ている感覚だと思う。ちょっとした幸福感。気持ちが晴れる感。



日記を書き終える頃、時計は6時を指している。
冬の6時はまだまだ暗い朝だけど、僕の気持ちのなかは明るい朝。

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