注染染め工場見学を終えて
浜松の注染染めに関するプロジェクトの参加募集が、以前参加したDORPという団体を通じてあり、関心を持ったので工場見学に行ってきました。
注染染めという染色技術そのものや、企画の詳細に関してはこちらの記事が詳しいので一読いただけたらと思います。
https://note.com/dorp_jp/n/nd268b38eef3a
私の故郷である浜松はかつては繊維産業が盛んな地域でしたが、時代の流れとともにその産業に関わる人数や内容は変化してきました。私の実家も曽祖父と祖父が機屋を営んでいましたが、小幅の綿が主力製品だったので、他の産地との競争力に敗れる形で祖父の代で廃業となりました。
私が子供の頃には既に勤めている従業員は家族以外では2人にまで減っていて、工場や寄宿舎は一部稼働しているといった具合でした。空いている寄宿舎でミニ四駆を走らせて遊んでいたのも良い思い出です。
そのような個人的な経験から(機屋と染屋は異業種とは言え、広義では浜松の繊維業と言うことで)関心があり、プロジェクトへの参加を決めました。
注染の技術や特徴などは上記の記事や他の参加者の記事に譲るとして、私が工場を見学し、お話を聞かせていただいて感じたことをまとめます。
主に産業と技術のことです。
工場見学の最中、私は自分の写真業と常に相対化して考えていました。注染染めは、残念ながら現在の染色業におけるメインストリームではありません。注染染めを写真業に置き換えるとデジカメに対するフィルムのような存在だなと私は考えました。工場でお話しを聞く中で、注染と捺染をどれくらいの人が見分けられるだろうか、というような話題がありましたが、フィルムとデジカメの違いをどれくらいの人が見分けられるのでしょうか。また、見分けられるからと言って、気にする人がどれくらいいるでしょうか。(写真の場合はデジカメで撮ってフィルムトーンに仕上げるという技術があるのでより複雑にはなっていますが…)世の中の大半の人が、注染と捺染を見分けられたら何か変わるのか…などというようなことを考えました。
注染染目を写真業のフィルムに置き換えてみましたが、他にも例えられますよね。例えば活版印刷やカセットテープです。
これらもかつては主力の記録媒体でしたが、現在では他のメディアにその立場を追われ、一度は滅んだ…かに思えましたが、現在リバイバルが起こっています。
その時に言われる価値は、「アナログの揺らぎ」のようなものだと思うのですが、ここで忘れてはいけないことはカセットだってCDが出てくる前はカセットなりに音質の向上を目指してきたという点です。
注染の良いところは「ゆるさ」だとお話しされていた方もいましたが、自社の強みは「きれい」であると話されている方もいました。ここに難しさを感じました。B品の見極めが工場と発注者でうまく擦り合わないことがあるようです。また参加者から例えばこんな染め方はできるのか?というような新しい染め方の提案に近い質問からは「いや…それはちょっと(自分たちが築き上げた注染染めの美学、価値観とは異なる)」というような反応も見受けられました。
注染としての技術は現在、完成形に至っている(と仮定した)状態で、将来職人が退職されてその高度な職人技術が失われた時に、注染がリバイバルすることがあったとしても、「綺麗さ」よりもちょっと下手でも手仕事感がありがたがられる未来が想像できるなと考えました。また、技術が失われることでプレミアがつくかもしれませんね。○○染工さんの2020年産、未使用手ぬぐい!みたいに。
僕は実家の廃業と写真業におけるデジカメフィルム戦争を知っているので、取材させていただいた対象に対して、少々ドライに見えるかもしれない感想を書いてしましましたが、この現象は写真と注染だけでなく、どこにでも多くある話題だと思います。例にあげたカセットテープや活版印刷以外にも、当たり前にあったものでなくなったものやいつのまにかやや復活しているものは多くありますよね。また、注染染めのようにプレイヤーの減りつつある産業も日本中にあると思います。
写真のデジタル化は私には止められないですが(止めようとも思っていませんが、世の中には自分が使用するフィルムを生産する工場を個人で買収して廃業を阻止するしかないと発言している写真家もいます)、注染においてはまだ何かできることがあるのではないかなと、感じています。まだアナログ感をありがたがられるような時期ではないと思います。そう言った視点で今後、色々と提案を考えてみようと思います。
お話を聞かせていただいた工場の皆様に感謝を申し上げます。