バッハ自身の編曲か、それとも…… ペルゴレージ作曲「スターバト・マーテル」のバッハ編曲「詩篇第51番」(BWV1083)をめぐって
「 詩篇第51番 わが罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ」 BWV1083、というバッハの中でも結構マイナーな曲がある。
実は結構好きな曲なのだが、
この曲については以前から疑問に思っていたことがあり、
この機会にそれを思い出したので調べてみた。
演奏によって曲の終わり方に違いがある、それはなぜか、ということ。
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バッハの作品番号が付いているが、
これはもとはイタリアの作曲家ペルゴレージが作曲した曲「スターバト・マーテル」で、
それをバッハが結構忠実に編曲したものが、このBWV1083。
ペルゴレージは1736年に26歳で病気で亡くなるが、その最後の曲がこの原曲「スターバト・マーテル」。
これは大ヒットし、wikiによると「18世紀を通じてもっとも多く再版された曲であった」とのこと。
バッハがこの曲をどういう動機で編曲したのかはよく分からないが、
ペルゴレージからの強い影響はバッハ自身の人生最後の大曲の「ロ短調ミサ曲」にもあらわれているので、
おそらく単純に好きだったのか、それとも大ヒット曲にあやかろうとしたのか。
「スターバト・マーテル」はプロテスタントの教会ではそのまま演奏できないので、
詩篇の形に編曲したというところだろうかな。
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さて、CDとかyoutubeとかで探すと、実はバッハの方のBWV1083は終わり方が二通りある。
最後の終曲は「アーメンフーガ」なのだが、
これが実は短調で終わるバージョンと短調から長調に転調して終わるバージョンとがあるのだ。
抜粋版だが、長調バージョン ↓
4分辺りから最後の「アーメン」の短調バージョンがはじまり、5分辺りから長調に転調して、長調バージョンの「アーメンフーガ」となる。
一方で、同じ曲なのに、長調に転調せずに短調のままであっさり終わってしまうものもある ↓
ちなみにこの「アーメンフーガ」を自分が最初に聴いたのはモーツァルトとサリエリを描いた映画『アマデウス』だった。
映画序盤の方でサリエリの父親の葬儀の場面で歌われるのがこの曲だった。
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では原曲がどうなっているか、と調べるとペルゴレージの「スターバト・マーテル」は短調で終わっている、長調に転調したものはない(少なくとも自分の知る範囲では)。
楽譜がどうなっているか確認すると、IMSLPではペルゴレージ自身の筆写譜と思われるものが出てくる。
http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/3/3c/IMSLP376211-PMLP27633--Mus.3005-D-1b-_Stabat_mater.pdf
明らかに短調のままでエンディングとなっている。69~74pが最後の「アーメン」
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原曲は短調でおしまい、バッハの編曲版では二通りの終わり方がある。
では、この長調バージョンはバッハが付け加えたものなのか、それとも後世にまた誰かが付け加えたものか。
これが疑問だった。
今回、改めてIMSLPで調べてみると、バッハのBWV1083には二つの手書きの楽譜がある。
https://s9.imslp.org/files/imglnks/usimg/1/14/IMSLP323921-PMLP524426-D-B_Mus._ms._30199,_Faszikel_14_(BWV_1083).pdf
↑ これはIMSLPでは誰が書いたか明記されていないけど、書かれた時期については「1745~1746」の手稿譜とある。
おそらく筆跡からするとバッハ自身のものか。
これは終わり方は短調バージョンだ。長調には転調しないで終わる。おしまいの13pあたり(なぜか同じページが繰り返されている)
https://s9.imslp.org/files/imglnks/usimg/6/66/IMSLP435525-PMLP524426-Stimmen.pdf
↑ もう一つのこれは、書かれた時期については「1746~1747頃」とある。
そして、こちらが実は終わり方が短調から長調バージョンになって終わっているのだ。PDFで5p~6p。(ちなみにこちらはパート譜あり)
こちらも手書きだが、バッハ自身の筆跡とは全然違うようだ。
今回改めて注意して見てみると、誰が書いたのかがIMSLPにあった。
「Johann Christoph Altnikol 」とある。
ヨハン・クリストフ・アルトニコル、この人は実はバッハの娘と結婚した人、お婿さんだ。
バッハの娘のエリザベートと結婚したアルトニコルはもともとバッハの愛弟子だった。
1746年~1747年頃といえばまだバッハの生前(バッハが亡くなったのは1750年)、
当時、生活的にもバッハの近くにいたはず。
そして、バッハが編曲したものが1745年~1746年と確定されていて、
アルトニコルのこの楽譜はその直後(一年後とか?)に書かれた筆写譜ということ。
だとすると、バッハ自身のもとの編曲には長調バージョンがなかったとしても、その後にアルトニコルが何らかの目的のためにそのコピー譜を作成した時、バッハ自身が長調部分の作曲をしていた可能性、もしくは共同作業だった可能性、そうした意味で広い意味での関与があったということは大いにありうることではないだろうか。
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というわけで、自分なりの勝手な結論。
バッハ自身は最初は作曲者ペルゴレージに忠実にアレンジした、
しばらくして、娘婿のアルトニコルが(何らかの演奏会のためにか?)バッハの編曲譜から自分で楽譜におこした際に、バッハとも相談の上、長調バージョンもつけ加えてみた。
というストーリーでどうだろうか。
個人的には、この長調の終わり方が大好きなので、バッハ自身の作曲だったと思いたい(^^)