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祈るという行為

”怪物”観てきました

汎ゆる物事にある絶望に付随する感情と本質を理解する難しさを示しているそしてその絶望に対して”祈る”という根源的な行為と英雄崇拝が生まれるところが見えた作品でした

脚本が面白くて物事の本質を理解する難しさを脚本によって伝えていて勿論作品内の人物も本質を理解できないし、現実でも同じで相当な覚悟があっても難しいことだと示すところが印象的でした

今回の作品と柳宗悦が言っていた現代の個人主義(英雄崇拝)の時代から変えていこうという運動が目指すのはどういう暮らしになっていくんだろうと考える機会になりました。根源的な行為としての”祈り”の先には今作品において何があったのか。宗教時代は神、現代は英雄になってくるわけだが何に祈っていたのか、何が有るわけではなく祈ること自体が大事なのかもしれない

”神に祈る”ことは自分と向き合う覚悟が伴い
”英雄に祈る”ことは生きている英雄を指すなら英雄に依存すると同時に英雄に途轍も無い負荷がかかる、これは映画Dr.コトー診療所を観て体感したこと
そう考えると映画やアニメやゲームのヒーローは”英雄”より”神”に近い

”怪物”で少年たちは祈るしかなかった
”祈ること”は何かに祈ることではなく
祈ってしまう、祈るしか無い状況での祈りが
”祈ること”を指す


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