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なぜ日本は「衰退国家」になったのか

 日本が「衰退国家」と少なからぬ人に呼ぼれるようになりました。
 自分もそう思っています。
 経済指標を見ても、2000年に世界2位だった一人当たりGDPは現在38位まで落ちています。
 もちろん、その間、日本で暮らしていた身としても、様々な形で凋落を実感しています。
 一例を挙げると、現代社会において必需品となった携帯電話(スマートフォン)です。
 携帯電話が普及し始めた頃には、日本の主な家電メーカーは、各社で携帯電話を製造していました。
 ところが、だんだんと撤退していき、現在、携帯会社のサイトを見ると、日本メーカーは3~4社くらいしかありません。しかもそのうちの一社は、台湾企業の子会社です。
 パソコンも同様で、日本メーカー名で販売されている機種の多くは、中国メーカーが株を半分以上持っている会社で作られるようになりました。
 ハードウェアのみならず、ソフトウェアのほうも凋落しています。一時期、みずほ銀行がシステム障害を連発していました。
 かつて「金融機関のシステムほど堅牢なものはない」と言われていました。それが、ここまで劣化してしまった事には驚いたものでした。
 他にも、様々な大手企業がシステム障害や情報漏洩などを起こしています。政治的にICTを統括するデジタル庁が、メール初心者レベルの無知により個人情報を流出させたこともありました。
 とりあえず、この「失われた30年」の間で、筆者が比較的長い期間関わってきた、情報産業関係について例示してみました。
 もちろん、他の分野でも衰退は深刻です。
 これだけ技術が衰退すれば、経済的指標の順位が落ちるのも当然でしょう。
 衰退しているのは技術や経済だけではありません。安倍政権での様々な不正行為に代表されるように政治も劣化しました。さらに、政権の圧力に屈した結果、報道も劣化しました。
 このように、日本全体が「負のスパイラル」という感じで劣化し続けています。
 いったい、なぜこのような衰退国家になったのか、自分なりに考えてみました。
 

「衰退」の前の「高度成長」について

 衰退したという事は、かつては成長していた国だった、という事です。
 実際、1945年に敗戦して大日本帝國が滅亡し、アメリカ占領下のもとで、今の「日本国」になりました。
 それから10年くらいして「高度経済成長」が始まり、日本は世界第二位の経済大国になりました。
 これについて、先日、岸田首相が「明治維新と並ぶ、日本が起こした素晴らしい奇跡」などと褒め称えていました。
 しかし、これは手放しで喜べるようなものだったのでしょうか。
 結果論と言われるかもしれませんが、今振り返ると、この過剰な経済成長が、今の衰退の原因になっているのでは、と考えています。

 敗戦後、占領したアメリカは、当初、大日本帝國の勢力を一掃し、日本を平和な民主国家にすることを主眼とした占領政策をとっていました。
 ところが、3年後に中国で社会主義政権が誕生し、冷戦が始まってから、方針を大きく変えます。
 一時は収監していた戦争を遂行した政治家たちを復権させ、一方で労働運動などを弾圧するようになりました。
 日本が中国のように、「東側国家」になることを恐れたゆえだと思っています。
 そして、アメリカの従属国家として、日本の高度経済成長が始まりました。
 自民党の政治家などは、この高度経済成長を日本の黄金時代であるかのように礼賛します。
 確かに、経済力は急伸し、世界第二位の経済大国にまでなりました。
 しかし、その代償として様々なものを失いました。
 一番の問題は、工業化の労働力として、地方の農村から若者を都会に呼び寄せた事だと思っています。
 その人達は、高度経済成長を支えるうえで、重要な役割を果たしました。
 その一方で、農村は主力の働き手を失い、衰退していきました。
 1965年にはカロリーベースの食料自給率が73%だったのが、今では38%まで落ち込んでしまっています。
 経済大国の名を得る代償として、国内に住む人の食料を自力で供給できない国になってしまったのです。
 また、経済成長の過程で、様々な環境破壊が行われました。公害病で苦しむ人も多数発生しました。
 「高度成長」とは言いますが、自然の中でのびのびと育って「成長した」、というよりは、ケージの中で配合飼料を大量に与えられて「成長させられた」、というのが「高度経済成長」の実態だったのでは、と思っています。

高度経済成長が終わったあと

 1970年代なかばに高度経済成長が終わりました。
 その後も、日本は経済大国として繁栄しつづけると当時の人は思っていたでしょう。
 そして、低成長時代に繁栄を維持するための方向転換が行われました。
 その目的で行われた様々な政策が、日本を衰退に導いたと筆者は考えています。
 その事例をいくつか挙げてみます。
 1986年には労働者派遣法が成立しました。当初は職種を限定していましたが、「改正」のたびに範囲が拡大され、現在、日本は世界でもトップクラスの「派遣大国」になっています。
 その結果、不安定な雇用が大幅に増えました。
 1987年には国鉄が分割・民営化されました。「国営だから赤字になるのだ。民間にまかせれば黒字になる」という触れ込みでした。
 その結果、多くの路線が廃止され、地方交通がずたずたになりました。利益優先の結果、信楽線や福知山線で多くの人命が失われる事故も発生しました。
 また、分割・民営化にあわせて、不当労働行為を公然と行い、労働組合が弱体化されました。
 そして1989年には消費税が導入されました。当初は3%でしたが、現在は10%まで増税され、さらにインボイス制度という個人事業主の生活を破壊する仕組みまで作られました。
 その消費税を財源にして、法人税や富裕層の所得税が減税されました。

 主だったものを3つだけ挙げました。
 もちろん、他にも様々な「改革」が行われました。
 基本的な考えは、すべて「大企業や富裕層はさらに豊かにしよう。そのために、働く人に支払う給料は可能な限り低く抑えよう」というものです。
 高度成長の頃は「一億総中流」などと言われました。それを、一握りの「上流」とそれを支える「下流」に分離するようにしたわけです。
 この傾向は日本に限った事ではありませんでした。アメリカのレーガン政権・イギリスのサッチャー政権なども、同様に新自由主義政策を行っていました。
 その中でも、日本はその「新自由主義ぶり」が際立っていました。
 この時期に行われた「改革」が日本の衰退を招いたと筆者は認識しています。

失われた10年-1990年代

 1990年代に入ってバブルが弾けました。その時点で筆者は学生でしたが、バブル期はアルバイトの時給もどんどん上がりました。
 この時期に福岡で就職活動をしていた人の話を聞いたたことがありますが、東京の本社に面接に行くと、どの会社も往復の飛行機代を出したそうです。
 つまり、一回上京して5社で面接すれば、五往復分の交通費が手に入ったわけです。究極の「売り手市場」」でした。
 それが、バブル崩壊が明らかになった1992年頃から、一変しました。
 筆者が体感したものとしては、無料でそこそこ美味しかったバイト先の社員食堂のメニューが明らかに質が落ちたこと、蛍光灯の半分が消えたことが印象に残っています。
 新卒の人々は「就職氷河期」となり、百社受けても内定が出ない、などと、数年前と180度ちがう事例が報じられたりもしました。
 その結果、大学を出ても非正規、というかつては信じられなかったことが起きるようになりました。
 有名な銀行や証券会社が経営破綻したのもこの時期です。
 そして、「リストラ」という言葉が生まれ、企業はこぞって人員削減・低賃金化で利益を求めるようになりました。
 きっかけはバブル崩壊なのでしょう。
 しかし、先述したように、1980年代に、働く人の待遇を下げ、格差を広げて一部だけが豊かになる、という政策が進められていたわけです。
 それだけに、この「失われた10年」は1980年代に描かれたシナリオどおりだったと思っています。
 実際、不況であるにもかかわらず、1997年には消費税が5%に増税されています。
 ただ、「過去の貯金」が大きく、2000年の時点では、日本の一人あたりGDPはまだ世界2位でした(参考・GLOBAL NOTE)。

失われた20年-2000年代

 21世紀になり、日本の凋落はさらに加速度を増しました。
 2001年に、「改革」を旗印に小泉政権が誕生しました。
 その「改革」の「本丸」は郵政民営化でした。1980年代に行われた、国鉄や電電公社などの民営化した路線をさらに強化したわけです。
 また、当時はあまり話題になりませんでしたが、奨学金制度を大幅に改悪しました。その結果、大学時代に借りた奨学金返済に苦しむ人が多数発生するようになりました。
 さらに国立大学を独立行政法人化し、学問・教育にかける予算を減らしました。
 「失われた10年」を受けて行った政策は、さらに格差を拡大し、弱い立場の人を苦しめるものでした。
 したがって、「失われた10年」が「失われた20年」になるのは必然でした。
 この時期、GDPが中国に抜かれ、「世界第二の経済大国」から転落しました。一人あたりのGDPも2000年の時点では2位だったのが、2010年には17位まで転落しています。

 筆者個人としては、この2000年代末に、学生時代にバイトしていた業界に数年間戻りました。
 時給は自分の学生時代より下がっていました。なかには、最賃ギリギリという職場もありました。
 学生時代、最低賃金というのは「現実にありえない時給」という認識が当たり前だったので、これにも驚いたものでした。
 さらに、社員食堂は有料が当たり前になっていました。報道で、「派遣社員には社員食堂を使わせない」などという新興会社があることに驚いたりもしました。
 

失われた30年-2010年代

 2000年代末に政権交代が起きて民主党政権になりました。
 自公政権に比べれば善政が多かったとは思います。
 しかし、結果を見ると、消費税増税・TPP加入など、これまでの「一部の人はさらに豊かに、それ以外の人はさらに貧しく」という流れを変えることはできませんでした。
 そして、2012年に自公が政権に復帰し、「アベノミクス」が始まりました。
 この時期によく使われた言葉として、「六重苦」というものがあります。
 民主党政権を批判する立場として、企業が苦しんでいるのは

(1)円高、(2)高い法人税率、(3)厳しい労働・解雇規制、(4)経済連携協定の遅れ、(5)厳しい温暖化ガス削減目標、(6)電力不足

野村グループ「財界観測」2013年夏号より

だという主張でした。
 その要求を安倍自公政権は忠実に実行しました。
 当然ながら、大企業はそれで利益を得ました。
 一方で、それ以外の人たちは、

  1. 円安による物価高で生活が悪化。

  2. 法人税減税の財源としての消費税増税による物価高で生活が悪化。

  3. 労働法改悪による長時間・低賃金労働。

  4. TPPなどにより農業がさらに疲弊。

  5. 温暖化ガス放出による気温上昇・大雨などの災害増加。

  6. 老朽原発再稼働による事故リスク増加。原発優先による再生可能エネルギーの伸び悩み。

という、新たな「六重苦」を押し付けられただけでした。
 また、この経済界の要求は、すべて「政治の力で楽して儲けさせろ」というものです。
 円安になれば何もしなくても輸出産業は儲かります。法人税が減税されれば、これまた何もせず当期純利益が増えます。解雇規制の緩和も同様で、楽して人件費を削減し、利益を増やそうという発想です。
 「企業の技術力が向上してそれによって利益を増やす」などという意思がありません。
 こうやって楽して儲けた結果、技術力も経営力も劣化し、「衰退国家」になっていったのです。
 冒頭に書いたように、スマートフォンの時代についていけず、日本で使われるスマホは7割以上が中国・韓国などの外国メーカーに取って代わられました。
 パソコンの二大メーカーだったNECと富士通は、それぞれ2011年と2017年に、パソコン製造部門が中国メーカー傘下になっています。
 それでも、政府の支援である輸出支援・公共事業とリストラで、能力が落ちても利益は保てました。
 その反動として、日本で働く人達の賃金も生活も悪化する一方となりました。
 2000年代に筆者が驚いた「最賃ギリギリの時給」も2010年代には、大手企業も含め、「最賃が標準」になってしまいました。
 2019年には消費税率はついに10%になり、それによる物価高がさらに多くの人々を苦しめました。
 2000年代同様、これまでの方針をさらに進めたわけです。
 その結果が、「失われた30年」になったのは必然としか言いようがありません。
 そして2020年には一人あたりのGDPは24位まで落ちました。

2020年代は「失われた40年」に

 なぜこうやって衰退が止まらなくなったのでしょうか。
 その土台には、「歪んだ高度成長」と「普通に暮らす人々から金を奪って、一部富裕層・大企業だけが儲ける」という方針に基づいた1980年の「改革」があります。
 そこから衰退期に突入しました。
 しかし、衰退すると、経済界は「まだまだ改革が足りないせいだ」と主張し、自分たちだけの利益を増やす、さらなる「改革」を政府に要求しました。
 それを受けて1990年代に「構造改革」が、2000年代に「小泉改革」が、2010年代には「アベノミクス」が行われました。
 そうやって「改革」をすればするほど、普通に働く人達は貧しくなりました。
 一方、「改革」で利益を増やした一部大企業も、その「恩恵」によって楽して儲けることに慣れ、技術力や経営力を喪失していったわけです。
 しかし、2020年代に入っても、政界も経済界もその「改革」に対する反省はありません。
 今の体制が変わらなければ、これまで同様、さらなる「改革」が行われてしまう事でしょう。
 それによって、衰退がさらに加速するのは明らかです。

 なお、2021年に東京五輪が開催されました。リニア新幹線の工事も進められています。そして2025年には大阪万博が開催される予定です。
 「高度成長の三大象徴」を再び行って「夢よもう一度」としたかったのでしょう。
 しかし、東京五輪は炎天下での開催をはじめ、スポーツ環境は劣悪でした。さらに、様々な汚職問題が発覚するなどの問題も生じました。
 リニア新幹線も環境破壊が問題となり、完成予定は延びる一方です。大阪万博も現時点で参加国の撤退が相次いでいます。
 かつて高度経済成長の象徴だった三事業が、2020年代には日本衰退を象徴する三事業になってしまいました。
 時代が違うのですから、半世紀以上前の「成功体験」を元に進めても失敗するのは当然です。
 最期になって、GDPはインドとドイツに相次いで抜かれ、「世界第五位」になりました。
 2023年の時点で、日本の一人当たりGDPは4年前から10位下げた34位になりました。
 30年以上続けてきた、「弱者を犠牲に、一部大企業・富裕層だけが幸せになる改革」が日本を衰退国家に導きました。
 その方針を根本から改めない限り、日本はさらなる「衰退国家」となっていくでしょう。


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