![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109472216/rectangle_large_type_2_abff66d27075e8aec9581fbd9c5c03e7.png?width=1200)
最後の『戦場のメリークリスマス』・前編
坂本龍一に関する記事が多めだがまだ続く。
レコードコレクター誌が最新号でも追悼特集(の前編!)を組んでいるくらいだから、僕が多少の戯言を付け加えてもまぁ許されるでしょう。
2022年12月11日に、坂本は自らの死期が間もなく訪れることも意識した上で、その通り最後となったピアノでの独演となる『戦場のメリークリスマス』を映像で残した。
ざっとnoteを検索して、動画に寄せられたコメントも再確認したが、この動画録音が坂本龍一という特異な音楽家が手がけた最も有名な作品に関して、ただ単に素晴らしい演奏を残したというのみならず、音楽史的にも大きな意味を有する表現であることに関しての言及は見当たらなかったので、西洋音楽についてはまったくのニワカでしかない僕がとりあえず考察したものをまとめることにした。
既にTwitterやFacebookに散発的に書いてきたものだが、その総まとめとしてnoteへの投稿としたい。
僕が逮捕された時に「何故か」バッグに入っていた、ピアニストのグレン・グールドを特集したムックと彼の残したディスコグラフィーは、刑務所を出るまで手元に置いて、特に独房で過ごした名古屋拘置所では、飽きることなく繰り返し読んだ。
一つ一つの記事はもちろん、それこそ小さな広告やらの隅々に至るまで。
それは『ゴルドベルク変奏曲』遺作録音30周年を記念したものなので、グールドが特に好んで弾いたバッハに関する特集ではあったが、彼が極めて特異な(変わり者ともいう)音楽家であったためか、玉石の混じる記事をきちんと読むとグールドやバッハだけではなく、クラシックと呼ばれる西洋音楽全体を見渡したものになっていた。
それをしなければ、グレン・グールドという音楽家は理解できないということだったのだろう。
他には日曜日の8時45分から15分だけ流されるNHKラジオのクラシック番組が、音に触れる唯一の経験。
読書百遍〜というが、他に読む物も限られたが故に中身を覚えるほどに読み込んで、それまで疎遠だったクラシックとはこんなものなのかな…くらいの理解を得た。
出所しての楽しみが増えたといろいろな録音や動画で聴いてみたが、坂本のこの動画も何度も聴きなぜこれほど素晴らしい演奏になっているのか考えるようになった。
もちろん先述したムックで得た自分なりの西洋音楽観がベースにはなるが、他の『戦メリ』を聴き比べ、更にグールドが残したベートーヴェンのピアノ協奏曲五番「皇帝」がこれもまた素晴らしすぎるので、他の音楽家たちが残したものと聴き比べ、たかがニワカが考えたのものに過ぎないとはいえ、そのようにして得たこの動画録音の『戦メリ』について考察した今現在の見解ということになる。
(グールドの「皇帝」の第一楽章アダージョがこれ。それだけなら20分程度で終わるので聴きやすく、いろいろ検索して聴き比べるのも容易でとても楽しいからお薦めです。)
グレン・グールドがバッハを愛し、衝撃のデビュー盤となった最初の『ゴルドベルク』のみならず多くの演奏録音を残したことは常識として知られている。
バッハは対位法に基づく楽譜を数多く残し、グールドは対位法こそ西洋音楽であると言わんばかりの活動を終生まで続けた。
対位法についての説明はWikipediaに譲らせてほしい。
ピアニストとしてのグールドの特異性として指摘されるものに、ペダルを使わないことが指摘される。
先の「皇帝」での演奏で見られるように指先だけを使い決して強い音を出さないこともまた彼の特徴で、ペダルを使用しないのと相まって無垢とも言えるような美しい音をいつも奏でている。
ムックには、そのどれも最高レベルの気軽な寄り道話として残った、浅田彰との対談も収録されている。
それなりのボリュームのある多岐に渡る本質的な会話が文字になっており、これだけでも教科書として充分過ぎる内容のものだ。
浅田彰は実は自分は出来の悪いピアニストだったと述懐する人で、坂本龍一に言わせると楽譜の読める人物である。
因みに坂本には細野さんは楽譜が読めないから…、との発言が残り、また細野晴臣も自分は楽譜は読めないと語ってもいる。
世界的にも最高水準に位置するミュージシャンで、ヒット曲を数多く作曲しても尚楽譜が読めるとはならない。
高橋幸宏もまた楽譜なんて読めないと当然と言わんばかりに発言していた。
西洋音楽の学理を楽譜を通して理解しているか否かという意味なのだろうと僕は考えるが、なかなか面白くかつ結構本質に関わるエピソードであると思う。
坂本龍一と浅田彰はバッハもバッハを愛するグールドにも最高レベルの評価をしており、彼らの音楽を生涯愛聴していた人たちで、特に対位法に関するグールドの理解と解釈による演奏を両手を挙げて賞賛している。
まずはこれが最初に押さえておくべき前提になるのだが、長くなるので一旦終えることにする。
グールドの「皇帝」は一度だけでもよいから視ていただきたく思う。
最後の『戦メリ』を視た後ならば、坂本龍一が如何にグールドを愛したか体現されていることがわかる筈だ。