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新型コロナ感染症に罹患して(それ以前のあれこれから)

出所したのが一昨年11月20日で、当日の早朝に母が死去していました
なかなか経験しないことが同日に重なるなんて、自分の場合はこんなことがあるんだよな…と思いながらも、様々な混乱はやはり避けられなかったですね

翌日にとっても小さな葬儀をキリスト教式でやりましたが、そこには必然性があったことを思い知らされました

その日の夜中には、原因不明の全身に及ぶ体調不良が生じ、すぐ近くに半官半民の大型病院があったものの保険証無しなら10割負担と言われて諦めざるを得ないとなります

(光をすべて消して暗闇にして休養しても、目を閉じると強烈な光でホワイトアウトしていたりとかそんな症状でした)

そこで、官本で最後に読んだ、サラブレッドで東海道を旅をした大学教師の話を思い出して、「手当て」をしながらいつものように働いてくれない自分の身体と会話せざるを得ず、やってみると大変時間はかかるものの大きな効果は確かにありました
インドの修行者や修験道に励む日本人たちがやっている一端を垣間見た感覚でした

翌日にようやく実家で電気が使えるようになり帰宅しましたが、茫然とするほどの荒れ放題の中で遺影を前にぼんやり眺めていたら、ただの写真がこちらに迫ってきたから驚きました

迫ってくる遺影は立体感があり、もはや人間の形はしていないものの、確かにそこに母の存在を感じるのです

ふわふわした温和なところで彼女が愛していた犬や猫たちと一緒にいることまで教えてくれ、なんと最後にはキラキラ光る粒の雨がシャワーのように降り注いできます

今後も見守っていると伝えに来たとしか思えないでいると、やがて元のただの写真に戻っていきました

精神的にも身体的にも疲労と混乱の最中でピークでしたから、そうした影響だと割り切ることもできないではないものの、何もかもが出来過ぎていたので、ヒーリングやスピリチュアルな経験はあり得るのだと自分なりに結論することにしました

最後に残ったパートナーだった雌の老猫は、いつの間にか水を用意しても飲まないようになっていて、これは何処かで何か貰っているかもしれないと、一縷の可能性に賭けて母の無事と共に毎晩祈りました

外から飛び込んできた仔猫を時間をかけて慣らしていった、ウチに覚えきれないほどいた中で残った最後の猫ですが、室内飼いをしていなかったからこそ再会の望みはあると考えてのことですけど

十日ほどして、様子を見に来るように荒れた庭で老猫のビクを見かけた時は、心からの涙が止まりませんでした
用心深い性格なのですぐに逃げられたものの、生きていたならそれだけで十分だと感じました

翌日にもやってきたのでまた声をかけてあげると、それからは以前と変わらぬ信頼を見せ、全体重をかけてぶつかるかのようにすりついて甘えてくれ、その晩からは二階の寝室までやってきて一緒に寝るようになりました

ワクチン接種の予約済みだったものの、その日をむかえる前に収監されたので、クリスマスの頃に新型コロナにイチコロで感染します

定められていた隔離期間は程なく過ごせたものの、その間に猫のビクが急激に痩せ果て身体の異常に苦しみ始め、近く死ぬことは見るからに歴然でした

猫も新型コロナに感染するとは知っていたものの、大きく報じられた前歴のある「厄介な野郎」が帰ってきたことで、毒エサでやられた可能性も感じながら…

特別なエサを用意しても食べず、水すらも飲めないにも関わらず、ビクは夜になると残った体力気力を振り絞るように階段を登って寝室までやってきます

涙が止まるはずもなく、骨の浮き出た身体を摩ってあげました
それしかしてあげられない自分の情けなさに苛まれながら

それから三日ほどした早朝に、ベッドから降りて畳の上で痙攣した後にビクは死にました

正真正銘の天涯孤独になり、この世に一人取り残されたとの気持ちが溢れ茫然と過ごす中で、いつのまにか強い倦怠感で身動きすら出来ないようになってしまい、それが新型コロナ感染症の後遺症と日本では呼ばれている、今に至るまで Long Covid に痛めつけ続けられている始まりです

数ヶ月はほぼ寝たきりでした

何もしないで居ると、お腹の胃のあたりからやってくる「死にたい、この世から消えたい」という強烈な衝動を抑えきれない苦痛に耐えきれず、インターネットのポルノに逃げることで精一杯の日々でもありました

母が葬儀で唱和するように指定した讃美歌に、510番のこれがありました

(続きます)

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