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イスラエルとパレスチナについての基本知識

大学の先輩にあたる方で国際経験もある人が表題の件について全然知らないことに驚いています。
僕には国際問題の常識中の常識だったので、余計に。

以下、Xで連続ポストしたものを適宜修正しながら貼り付けていきます。
まず最初はなるべくシンプルに考えていくのがよいとの思いです。


ハラリの言うことはわからないでもないが、1993年の #オスロ合意 がいつまで経っても反故にされているという辺りから追いかけるのがわかりやすいと僕は考える。
ユダヤ差別の積年の問題に帰してしまうと見誤ると思う。

#オスロ合意 では、将来的なパレスチナ独立国家の領土として、ガザとヨルダン川西岸が割譲されるとの合意がイスラエルとパレスチナの両者の間で成された。
米国のクリントン大統領が間を取り持った。

この歴史的な合意を取り交わした当事者の両トップであるパレスチナ解放機構PLOの故アラファト議長と、和平反対派に後に暗殺されたラビン首相は共にノーベル平和賞を受賞する。

wikiで確かめて間違いなら指摘していただけたならありがたいが、元々シリア領だったゴラン高原の返還も同時に決められたはずだ。

ビル・クリントン氏の最大の功績だったと断言できよう。

しかし同時期にソビエト連邦が崩壊し、生き残るために多くのユダヤ系ロシア人がイスラエルに来たことで様相が変わってしまう。

何も持たずに難民同然でやって来たロシア系移民に対し、イスラエルは農地を用意してやる必要が生じた。
その大半にはパレスチナに割譲されるはずだったヨルダン川西岸が充当されて、#オスロ合意 は効力を失っていく。

この意味において、イスラエルにおける極右とは、#オスロ合意 を無効とする立場と言える。

ロシア系移民は選挙において大きな影響力を持っている。

元々イスラエルは人口減の傾向があったが、それを埋め合わせて余りある多数派を形成する人たちがやって来て、彼らは「自分たちの」農地等を守るためにも #オスロ合意 は守られては困るから、総選挙では必ず極右に投票する。
(ロシアは人口の多い国なのでロシアに住んでいたユダヤ人も他国に比べてもずっと多くいた。)

そもそもそれ以前の問題として、ラビンのようにイスラエルの首相でパレスチナに少しでも融和的な政策を実行するならば必ず暗殺されてきた。

ネタニヤフという現首相の脅威的な粘り腰という個人的な資質も大きいが、相次ぐ暗殺で極右以外の首相候補がいなくなったこともまた大きい。

#バンクシー は常にパレスチナに寄り添って活動を続けてきた。
イスラエルは合意に反するばかりか、殺風景極まりないコンクリートの「壁」でパレスチナの人たちを排除してきた。
「壁」の側にホテルを建設したのは、#バンクシー がどちらに連帯しているかとあからさまに示している。

ただ今回彼らは真価を問われよう。

ウクライナでは彼らによるものとされるペインティングが認定されている。
あれはロシアによる侵略の初期のことだったが、今回ゼレンスキー氏はどこよりも早くハマスをテロリストと呼び、イスラエルの側につくことを明確にしている。

現在米国議会では、ウクライナでの戦争に注ぎ込まれる戦費が多すぎるとの意見が強まっている。
当然大統領選挙にも影響する。

米国による軍事支援なしではロシアの侵略には到底対抗できないのだから、ある程度理解はする。

しかしイスラエルがやってきたことは、今ロシアがウクライナにやっていることとあまり変わるところがない事実を踏まえたならば、ゼレンスキー氏はもう少し慎重であるべきであったと僕は考える。

いち早くウクライナへの連帯を示した #バンクシー について、今回は早とちりではないか…と感じてもきたから、僕は #バンクシー に注目している。

フランスの作家であったジャン・ ジュネは、イスラエルとの過激な闘争路線を少しも曲げず少なからぬ批判も受けたPLOに平然と寄り添った。

ここは強調しておきたいが、日本で言う政治上の右左はパレスチナでは意味を持たない。
ジュネも決して左翼という訳でもなかった。

だからなおさら今度は #バンクシー の番だ。

彼らはアートには政治的なパワーがあることを示し続けてきたのだから。
(その主張をわかりやすく伝え、どうしてそうなっているのか考える機会を与えてくれていたという意味において)

ここまで書けばあからさまだけど、僕はあくまで #オスロ合意 に基づいて両国が平和に共存することを支持している。

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