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シュウマチュ論。ジークアクスが切り開く新たなニュータイプ像(ネタバレアリ



 さて。機動戦士Gundam GQuuuuuuXである。私は先週観に行き、とても楽しんだ。
 SFらしい重厚な前半パートと、ポップで疾走感溢れるボーイミーツガールな後半パート。そのギャップは爽快で面白い。
 この作品について語りたいことはたくさんあるが、この文章では既存ガンダム作品のニュータイプ達と、シュウジとマチュとの違いを比較し、二人の特異な立ち位置について記そうと思う次第だ。
なぜか。シュウジとマチュの関係性に脳を焼かれたからだ。シュウマチュ。素晴らしい。
ニャアンについての感想は……ニャアンは……チャーミングだね。うん。
 


注意! この文章は以下、ジークアクスのネタバレと既存ガンダム作品のネタバレばかりです! それでもよろしればお読みくださいませ。



 まず、筆者のガンダム歴と、ジークアクスを観た理由を暴露しておく。というのも、ガンダムのアレコレを語るにはそれ相応の知識が要る(と勝手に思っている)ので、それをまず自分語り自己証明しておきたい。
 私は、小学生時代にガンダム沼へ沈んだ『元』ガンヲタである。ファーストから∀はすべてレンタルVHSで視聴し、ボンボンとホビージャパンを毎月買い、何かしらのガンプラを毎月作っては股関節を壊し、ギレンの演説を暗記し、Gジェネを何週もクリアしてきた。狂気である。
 
だが、中学の頃に興味がSF小説の方へと移ってしまい、ガンダムをいわば卒業してしまった。当時の心情は思い出し難いが、自分なりにガンダム世界を隅から隅まで味わい尽くして、満足したのだろう。飽きたとも言う。
 そして月日は流れ早幾年。私は、ガンダムの新作タイトルは把握するものの、見る気力は無いサラリーマンと化していた。日々の労働とSF小説の執筆と競馬で時間はカツカツ。競馬削れや だから、今回のジークアクスも見る気はなかった。「なんかシャリア・ブルが出てくるらしいなあ……この前のネトフリガンダムにもケラーネ少将出てたらしいし、ゲストキャラの再登場が流行りなのか?」程度の興味だった。

 とあるネタバレを見るまでは。
 

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 気が付けば私は劇場の椅子に座っていた。

シャア・アズナブル。コイツが出てくるなら観ざるを得ない。
常にカッコつけながらスベり続ける、何をやってても面白い男。
幼少期、コイツの迷言と致命的ミスにキャッキャ喜んでいた記憶が蘇る。何発メガバズ外すんだよお前。
私はジークアクスのネタバレを観て、劇場へ駆け込んだというレアケースだ。まるで唆されて蹶起したジオン残党兵がごとき行動である。
 そして今回も彼は致命的なミスを犯し、刻【とき】をこえて私を喜ばせてくれたのであった。さっすが!(ファンの方には申し訳ない)
 前半部分は無駄だった!との感想もあるが、前半部分の撒き餌が無かったら少なくとも私は見とらんでと言いたい。

 正史ニュータイプの理想と現実

 では、気を引き締めて。既存の宇宙世紀作品ーーいわば正史におけるニュータイプを語ってみよう。
 正史のニュータイプは一言でいうと『不幸』である。
 ニュータイプとは、宇宙空間での生活をきっかけに、テレパシーや未来予知などの超能力を得た人間のことだ。シャアの父である思想家ジオン・ズム・ダイクンはそれを予見し、宇宙で暮らす人間=スペースノイドこそが「人類の革新」ニュータイプへ進化できると説き、これがニュータイプの理想になる。ファーストガンダムの最終回は、ニュータイプの可能性を示唆して終幕する。
 しかしだ。Ζガンダム以降の続編でニュータイプの登場人物は一貫して、超能力を持つMSパイロットとして戦争に駆り出された。それも、敵味方に分かれた「分かり合えないニュータイプ」たちの戦闘が、劇中でひたすら描写される。ニュータイプ同士の相互不理解や死別という非情な現実が、印象的に繰り返されるのだ。
 また、政治的権力を握ったニュータイプも登場したものの、内紛や判断ミスを重ねて地球連邦側勢力に敗北して滅び去る。皮肉にも、心を通じ合わせて未来が見えるはずの彼らは、地球の旧人類に勝てない。
 そして、さらに続編が作られて宇宙世紀の時代が下るにつれて、ニュータイプから理想は消えて、単なる特殊技能と化してゆく。F91のピリヨ少尉はニュータイプを不幸な妖怪のように茶化すし、Vガンダムの主人公ウッソ・エヴィンに至っては、生粋の地球生まれ(非スペースノイド)であるにも関わらず、作中最強のニュータイプ能力を獲得して敵を殺し回る。彼は少年兵として生きるのに精いっぱいで、人類を導こうという余裕や思考は一切ない。スペースノイドに託された人類の革新=ニュータイプというダイクンの筋書きは何だったのか?
 作中世界でもメタ的な設定でも、ニュータイプという理想がだんだんと崩壊し、挫折してゆくのだ。その果てに∀ガンダムのTV版では、ニュータイプ概念はマウンテンサイクルから発掘されないままだ。
 富野監督の真意を単なる一視聴者が測るのも烏滸がましい話だが、ニュータイプは革命へのアイロニーではなかったか。理想を掲げてみても、結局は現実に打ちのめされてゆく……それを挫折の悲劇と呼ばずして、なんと呼ぼうか。子供向けアニメでありながら、カタルシスを持つ高度な悲劇を構築してみせた富野監督の手腕に圧倒される。
 悲劇の舞台装置として、ニュータイプは不幸に相対せねばならないのだ。
 (※注 独自のニュータイプ論が展開されているガンダムXや、長谷川裕一先生、福井晴敏先生、太田垣康男先生の諸作品があるが、冗長になるのでここでは触れない)

 ニュータイプの再構成

 と、これまでの宇宙世紀正史のニュータイプについて纏めてみた。ニュータイプが纏う、屈折した雰囲気、不幸な瘴気のようなものがご理解いただけただろうか。
 この不幸な瘴気をジークアクス世界で纏っているのが、あの皆さん大好きシャリア・ブルである。彼は既存のニュータイプを代表して、この物語へ配置されているのかもしれない。
 ただ、シュウジとマチュについては、これまでのニュータイプとは明らかに異なる。彼らは『新しい』ニュータイプだ。
 とにかく、屈折感や不幸オーラ、狂気とは無縁な二人の性格が新鮮である。マチュはコロニーの閉塞感に倦んではいるものの、学校生活や家庭生活では大きな問題を抱えていない普通の学生だ。シュウジは出自が隠されていて影や危うさこそあるものの、突然裏声でおにいちゃん!と叫ぶブッ壊れメンタリティでは無い(まあ例に出した彼女は強化人間だが…)
 何より二人とも健康そのもの。シュウジは食いしん坊で長身、マチュは縦横無尽に画面を駆け回るバイタリティを持っている。
 ニュータイプ能力にしても、どちらも元から「なんかわかった」感でサイコミュをゴリゴリ操作している。初見で易々とサイコミュを起動させた登場人物は、おそらく居なかった。エグザベ君みたく試行錯誤するのが常であるのに……そんなニュータイプ知らん……怖……
 特に私が驚いたのは終盤の印象的な展開。シュウジとマチュは、キラキラ空間での共鳴現象を起こす。
 味方同士で!ここが盲点だった。
 なぜなら、これまでの宇宙世紀正史では、あのキラキラ空間の中で「敵味方ニュータイプの破局や死別」ばかりが描写されてきたのだ。
 味方同士であのキラキラ空間を体験したのは、シュウジとマチュが初めてではないか? 私のガンダム知識がそう言っている。間違っているかもしれない
 なにより破局していない。そこが新しい。正史ニュータイプはあの空間で分かり合えないし、分かり合った瞬間だいたい片方が死ぬ。
 ニュータイプが分かり合い、死別もしない。
 その展開に、古いガンヲタの私はとてつもない衝撃を受けた。
 新しいニュータイプは、本当に分かり合えるし協力できるのだ。
 このニュータイプの描写をとってみても、ジークアクス制作陣は新たなニュータイプ論を作り、宇宙世紀正史とは異なるニュータイプを描こうとしている事が推察される。

 君『たち』は生き残ることができるか。

 とまあ、彼らはとにかく新しい存在である。にしても、やはり序盤では語れる事が少ない! もっとシュウジとマチュがやり取りしているシーンを本篇で観たいものだ。それはTV本放送までのお楽しみという事なのだろうけど。
 ただし。ガンダムとは推しが戦死しうるコンテンツだ。(私のお気に入りだったシュラク隊のお姉さんたちは皆死んだ!何故だ!)
 不安にお思いの方も、おられるであろう。シュウジとマチュのどちらか、あるいは両方が死んでしまうという展開がありうるのではないか、と。
 ただ私は、シュウジとマチュのどちらも、生き残るのではないかと考えている。そちらの可能性に賭けたい。
 制作陣は明らかに、これまでのガンダムをひっくり返した、新しいガンダムを作ろうとしているわけだ。(ガンダム強奪というお約束展開はあったけど)
 そして、シュウジとマチュが、古きニュータイプに対するアンチテーゼであるならば、既存ニュータイプの犯してきた過ちをそっくりそのまま辿るとも思えない。
 それにどちらかが早々と死ぬという展開であるならば、二機のMSによる起動戦術『M.A.V.』という新しい概念をわざわざ設定する必要もない。
 そのようなメタ的な推論からして、新しいニュータイプであるシュウジとマチュは、生き残ると思うのだ……はず。うん、たぶん。
 まあ不安が無いわけでもない。正史世界とジークアクス世界は、ゼクノヴァというトンチキ現象を通じて繋がっていると示唆されている。
 そして、シャリア・ブルおじさんはゼクノヴァを起こして、シャアを呼び戻そうと目論んでいるらしい。
 よってセカンド・ゼクノヴァによってシュウジとマチュが離別する、または正史世界のニュータイプが発する全体的思念(というかララァ)が、彼らを不幸な死別へと引きずり込む……という展開が生ずるかもしれない。そればかりは、制作陣の胸先三寸である。
 シュウジとマチュが新たなニュータイプとして生き残るか、それとも古きニュータイプとして死別するか。……その行く末はゼクノヴァを引き起こした張本人の行動にかかっているかもしれない……

 それがコイツなんだよなあ。

 とにかく、一視聴者としてはくっつくかどうか以前に、シュウジとマチュが生き残ってくれたらそれでいいですお願いしますカラー様。

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