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【エッセイ】シェリー

父の影響で小さい頃から尾崎豊を聞いて育った。その中でもやっぱり一番好きなのは「シェリー」切々と訴える言葉の数々に尾崎豊にとってのシェリーと自分自身を重ねてしまう。

シェリーが本当は一体誰かというところは置いておいて、私はシェリーはやはり尾崎豊の核部分なのだろうと考えている。だから対話部分はやはり自問自答のように聞こえる。立ち止まって自分が今やっていることは、夢見て叶えても満たされていない心を消化しきれていない心苦しさがよく現れている。色々考察をされているけど私はずっと前からそういう風に聞いている。

「俺は真実へと歩いているかい」
特に好きな歌詞がここ。毎度聞く度に真実っていう大きな言葉が出てきて戸惑ってしまう。でもきっと尾崎豊もそういう大きなものに戸惑っていたのだろうな、と思う。私もよく大きなものに戸惑ってしまう。未来とか、正義とか。抽象的にしか言えないそういう漠然とした核が自分に存在するのだと思う。自分基準の何か。それを具体化できて、遂行できた時自分は完全に浮かばれるのだろうけど、それが中々難しい。日常生活で「これだ」とたまになる瞬間がある。つまり、やって初めてしっくりくることなので、想像しているだけでは見つからないことなのだと思う。思いもよらないことで自分に当てはまることがあるから、何でもやってみた方がいいって言うのは本当なのだろう。
真実って一体なんだろう。法律じゃない、憲法じゃない、私にとっての真実。自己満足の優しさから発することの無い美しさみたいなもの。自分自身を愛さない限り見つけられない気もする。私はいつ真実に辿り着けるだろう。

だから教えて欲しい。私が向かっている方向が、真実への道なのか。倒れて吐いて縋って奪われて奪った先に待っている私の核が、いつか報われる日が来ると。これが正しい生き方と、肯定して抱きしめて欲しい。
シェリーへ。

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