魔王の口付け/烏龍水
これは、僕が12歳の時のことです。リウイール国の王都が僕の故郷でした。皆もご存知の通り、50年前のその日、勇者様が魔王を討ち取り、王都に凱旋されたのです。街の空には紙吹雪が舞い、音楽隊が楽器を鳴らしていました。人と魔物が争っていたことは知っていましたが、まだ子どもであった僕は、戦争というものを実感しておらず、まるでお祭りのようだとはしゃいでいたのを覚えています。
僕は勇者様一行が王都の真ん中にあった大通りを練り歩いて城前の広場へ向かわれているところを見ようとしました。しかし、並ぶ人々の後ろから飛び上がっても、魔法使いのとんがり帽子が一瞬目に入るだけでした。それでも、広場へ人混みの中を掻き分けて行くと、その真ん中には、背の高い台が設けられていました。その上には布がかけられており、歪な影ができていました。僕が広間に着いた時には、勇者様や王族の方々が揃っており、国王様が何やらお話ししていました。しかし、子どもの僕は人に押されて再び後ろに追いやられてしまい、お話もざわめきでよく聞こえません。近くにあった2段重ねの木箱によじ登り、少しでも勇者様を見ようと思ったところです。国王様が、その背の高い台を手で示しました。すると、布がはらりと取り払われました。そこには、異形の生首があったのです。滴る赤い血、白い外骨格のようなもので覆われた下顎、とんがった耳、金色の角。そう、魔王のものでした。目は閉じられていましたが、その瞳は口からも垂れる血の筋のように赤いと伝えられていました。民衆はどよめく者、口笛を吹かして勇者を讃える者など様々でありましたが、僕は初めて見る魔物に興味津々でした。
しかし、木箱から身を乗り出そうとした時でした。甲高い悲鳴があがったのです。それと同時に、黒い影が空を隠しました。
「魔物だ!」
誰かが叫びました。そして、あの生首のような異形のものが空から襲いかかってきたのです。僕はそれを避けようとして木箱から転がり落ちてしまいました。人は互いに押し退け合い、狼狽していました。その間にも、目の前で何人かは魔物に引き裂かれ、噛みちぎられていました。僕は運良く木箱を盾にでき、隠れていましたが、恐怖と疑問で頭がいっぱいになりました。なぜ、いきなり魔物が襲来したのだろうと。勇者様が遠征中、魔物と戦っていた時でも、王都には魔物一匹現れなかったのですから。考えられるとしたら、ひとつ。魔王の首です。僕は狂乱のなか、広場の方を見ました。既に、国王様も勇者様も姿はなかったのですが、その高台の傍に、細い影がありました。目を凝らしてみると、黒いドレスを身につけた、それはそれは美しい黒髪の女性のようなものでした。というのも、その頭には銀色の角が生えていたのです。その魔物は、台の上の生首に白い手を伸ばし、それを抱きました。そして、口付けをしたのです。その瞬間、舞い上がっていた塵と血飛沫、あちらこちらで上がる悲鳴が止まったかのようでした。口付けは一瞬だったのでしょう。しかし、僕には久遠に思えました。女の魔物の唇は魔王の血で染められ、瞳は潤んでいるようでした。まるで、僕たち人と同じにものに見えてしまったのです。そして、女の魔物と魔王の生首は、僕の瞬きの間に消えてしまいました。街はまだ、騒ぎの中でした。
その後、王都は復興されましたが、魔物への憎しみは増長し、人々は残党狩りを行いました。今や、魔物なんていないのではないでしょうか。僕が画家への道を志した時は、魔物の絵なんて忌避されましたが時は流れるものです。やっと今になって、この「魔王の口付け」を発表できました。あの女の魔物は魔王にとって何だったのかわかりませんし、僕ら人間と感覚が違うのかもしれませんが、確かに僕はあの時、愛を見たのです。それを、この絵から感じ取ってくれれば幸いです。
テジ・アルムホルト
(ベイガ新聞「アルムホルト初の個展開催」インタビュー記事から抜粋)