愛すべきノラ猫/かやの夏芽
キリリと冷えたアスファルトを四つの肉球で踏みしめる。にゅるりと長いしっぽをピンと立て、白い猫は港への道を急いでいた。
彼は港町の端に暮らすノラ猫である。子猫の頃にウミネコにいじめられていたところを漁師に助けられて、この町に住みついた。ウミネコのせいか争い事には腰が引けるようで、毛が真っ白くて目が青いという見目の美しさだけで世を渡ってきた。船着き場へ行けばメシにありつけ、民家の庭に入り込めば夜を明かすことができた。そしていつしか『ニャン太』という名まで頂戴し、ケンカの弱さとは裏腹に、立派に暮らしてきたのである。
彼の朝は船着き場から始まる。どの猫よりも先に漁師の帰りを待ち、どの猫よりも先に大きな魚をもらう。そして、いつも食べきる前に若猫たちに奪われるのだ。漁師たちも奪われるのを分かっていて、ニャン太に大きな魚を渡す。ベテラン猫である彼を気遣ってのことだった。
食事が終わると、ほかの猫はどこかへ行ってしまうが、ニャン太はそのまま港にいることが多かった。海に近い場所は風が強い分、猫があまり寄りつかない。ケンカをしない彼なりの処世術である。放置された小舟や網の隅に身を隠して、少ない日差しを浴びる。そうしていると、通りがかる釣り人からおこぼれを貰える。ニャン太の昼間は大体いつもこんな感じであった。
日暮れが近づく。冷えた風が吹き始めるころ、ニャン太はすっと浜を出て、再び町を駆け始める。古い建物ばかりが並ぶ通りまで来ると、適当な店先の戸を叩いた。爪は立てずに、肉球で、やさしく。もちろん勝手に戸を動かしてはいけない。これが戸を開けてもらえるコツだ。
返事もなく、がたりとガラス戸が開いた。たった十数センチの隙間をするりと通り、店主の足元を抜け、できるだけ高い商品棚の上で丸くなる。本当は火の元まで行きたいが、そこは人間の縄張りである。縄張りを侵してケンカになればたちまち負けてしまう、とニャン太はいつも神経を尖らせていた。
店先で夜を明かし、明け方になったらガラス戸を叩く。老いた店主も早起きなので、不自由なく出入りができるのだ。
まだ薄暗がりの町を、ビニール袋のように白い猫が駆けていく。彼はニャン太、港町の端に暮らす愛すべきノラ猫である。