負けるな、ウグイス/かやの夏芽

 まだ下手なウグイスの鳴き声を聞くと、今年も春が来るんだなあと思う。そして、スーパーでウグイス餡のあんぱんを買ってしまう。特別好きでもないのに。
「姉ちゃんまた買ったのかよ」
 弟の呆れた声も春の恒例みたいになってきている。おまえだって呆れた弟ではないか。リビングに置きっ放しにしたとはいえ、姉のエコバッグを漁るとは。百花はちょっと睨みながら、しょうがないでしょ、と呟いた。
「なんか春っぽいと思っちゃうんだもん。竜希の分もあるよ」
「はいはいありがと」
 文句を言うくせに、竜希は何だかんだパンをもらっていく。こういうところが弟っぽい、と百花は密かに思っていた。
「そういえばさ、もう土手の桜咲いてたらしいよ」
 お母さんが言ってた。話しながら、竜希はさっそくパンを齧っている。食べ盛りの中学生は朝食の一時間後にパンを食べてもチャラにできるらしい。
「もう?」
「なんか日当たりいいとこだけ? みたいな。俺ヒマだし見てこようかなー」
「いいじゃん。彼女ちゃんと?」
 竜希はパンをくわえたまま首を横に振った。
「あいつ今日は韓ドルのライビュ」
「え、じゃあ日曜の昼なのに一人で?」
 思わず、さみし……と零してしまった。憐れむ百花に、竜希が眉をひそめる。
「じゃ、姉ちゃん一緒に来てよ。可愛い弟がさみしがってんだからさあ」
「はあ? しょうがないなーもう」
 竜希の言う「一緒に来てよ」は別に可愛くもなんともない。要するに、車を出せと言っているのだ。
 なんだか今日はしょうがないことばかりである。
「学生なのに免許も車もある姉に感謝しなよ」
「はみはおー」
 竜希の薄っぺらい感謝の言葉は、パンの咀嚼に阻まれて言語になっていなかった。

 そうして、わざわざ可愛くもない弟と日曜の昼に土手まで来たわけだが。
「咲いてねーよ桜!」
「咲いてなすぎる!」
 恐らく母が言っていたであろう、土手で一番日当たりがよさそうな位置の桜の木。その枝先に、ほんの二、三だけ花が付いていた。それだけだ。それ以外はツボミ、ツボミ、むしろ枝。
「お母さん何見て言ったわけ? ほんとにこれ?」
「散歩で見つけた感じ?」
 桜が咲いていると聞いたから、家から缶コーラと雛菓子の余りを持ってきたというのに。日本人は「桜の花を見る」という行為にすこし浮かれすぎる。浮かれすぎる分、咲いていないとなると結構凹む。
「俺の日曜さみしすぎる」
「ほんとにね。かわいそ」
 落ち込む竜希の頭にコーラを置いてやる。枝の下でささやかな乾杯をした。
 まだ花が咲いていないからか、土手は閑散としている。目を引くものは何もない。二人で水鳥が浮く川面を眺めて、ただコーラと湿気た雛あられを消費していく。
「あ」
 あられを持ったまま竜希が動きを止めた。
「今なんか、鳥鳴かなかった?」
「鳥?」
 百花も耳を澄ませる。かすかに声がする。ほきょけ、ほ、きょけ。川とは反対側の、林の中だ。
「これウグイス?」
「最初はホーホケキョってできないんだよ」
 まだ鳴くのが下手なウグイスだ。春が訪れる少し手前の鳴き声。そうだ、今朝もそれを聞いて、ウグイス餡のパンを買ったのだった。
「上手に鳴けるようになる頃には満開なんじゃない? 桜」
 そうかもねえ……と竜希は枝ばかりの桜を見上げた。
「今度は彼女ちゃんと来なよ」
「うん。ぜひ姉ちゃんも一緒に」
「ばか、誰が行くか」
 チャリ使え、チャリ! 生意気な頭を小突く。竜希はケラケラ笑っていた。
 春風にツボミだらけの枝が揺れる。花が先か、ウグイスが先か。なんとなく、桜には負けてほしくない気がした。

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