なんだかいい夜/かやの夏芽

 大事な話がある、と慶が呼び出されたのは、キャンパスに程近いお好み焼き屋だった。夏休みの終わりに一回くらいサークルのメンバーと寄った記憶があるが、土曜の夜に来ることがあるとは思わなかった。――それも、芳村となんて。
 芳村琴葉。慶が知っているのは、その響きの良い名前と、後期のゼミが同じということだけだ。あと強いて言うなら、お酒が好き。ひと月ほど前、ゼミの自己紹介でそう言っていた。俺とおんなじこと言ってんなあ、と思ったので妙に覚えている。
 芳村のことはそれ以外なんにも知らないし正直接点もない。だから、約束の十八時キッカリに彼女がお好み焼き屋の前に現れたとき、慶はちょっと驚いた。半分くらいは、罰ゲームかイタズラだと思っていたから。
「待たせたみたいだね。ごめんね」
 じゃ入ろっか。芳村に促され、のれんをくぐる。程よい熱気と喧騒と、しょっぱい匂い、橙がかった照明。慶はにわかに腹が減ってきた。
「芳村、どれ食べる?」
「一枚は豚のやつにしよ。あと梅チューハイ」
「梅いいよな。俺もそれ」
 頼んだお好み焼きが運ばれてくるまでの間、芳村はずっと世間話だけをしていた。慶くん、昨日のゼミの課題、進めた? あーまだ……。わかる、やるのいつもギリギリだよね、あたしも一緒。そうなんだ? ふふ、割と。
 『大事な話』とやらが始まる前に、一枚目が運ばれてきた。鉄板に移され、じう、と鳴く。
「いただきまーす」
 四分の一をそれぞれの小皿に取り分ける。冷房の真下で、火傷しそうなお好み焼きをアテに、氷の浮いたチューハイを呷る。
「うめえ」
「ねーおいしいよね!」
 芳村がちょっと火照った顔で笑う。サッパリした表情だった。にこにこ、じゃなくてカタカナのニカッ、みたいな。
「ところでさ、大事な話って何?」
 二枚目を切り分けながら、それとなく聞く。
「俺あんま心当たりがなくて……」
 ちらりと芳村の顔を伺う。彼女は自然体のままだった。
「あーごめん。なんかそう言わないと来てくれないかと思って」
「どういうこと? 俺とデートしたかったわけ?」
「デートでもいいけどさ。ただあたし、慶くんの自己紹介ずっと覚えてて」
 どういうこと? 慶はもう一度同じことを言いそうになった。それを飲み込んだら、かわりに「は?」が出た。悪意のない、純粋な疑問の「は?」だ。
「だから、お好み焼きとお酒っておいしいでしょ? 一緒に来たら楽しいかなって勝手に思ったの」
 思わず、慶は吹き出した。
「それ言ったらよくない?」
「それ言ってちゃんと来た?」
「来る来る」
 えーそうなんだあ、と他人事みたいに零して、芳村は残りのチューハイを飲み干した。
「じゃ、次はそう誘うからちゃんと来て」
「りょーかい」
 二人でニカッと笑う。運ばれてきた二杯目のチューハイで乾杯をした。
 キッチリ半分ずつ食べたあと、キッチリ半分ずつ割り勘をして外に出た。店の熱気がまだ身体の内側に残っている。乾いた夜風が心地よかった。
「またゼミでねー」
「おー」
 店の前で別れる。芳村が来た道を戻っていくのをほんの数秒見送って、慶も歩き出した。
 なんだかいい夜だった。


今週はかやの夏芽のターンでした。

今年の5月からスタートした合同誌『いしころ』。
なんと、今回で20作品目となったようです。
まだまだがんばるぞ!

次回は烏龍水さんのターンです。
お楽しみに!

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