夜遊び/かやの夏芽

 生きていると腹が減る。腹が減ると、二十一時にケーキを食べたくなることもある。次の瞬間、凛はコートとマフラーに身を包み、アパートの外に出ていた。講義の合間に稼いだバイト代は夜遊びに使うのが一番楽しい――母の教えである。この母にしてこの息子あり。
 さて、夜中にケーキが食べたくなったとき、凛はどこへ向かうか。コンビニのショートケーキではちょっと『夜遊び』とは言い難い。答えは、徒歩四分のスーパー。二十三時まで営業しているありがたみをしっかりと噛みしめながら入口で手を清める。目指すのは乳製品売り場だ。まずはバターを。続いて、少しも迷うことなく、乳脂肪分が最も高いクリームを手に取った。夜遊びとはこうでなくては。
 プロのような手さばきでセルフレジを駆け抜ける。右手にバターを、左手にクリームを。贅沢な装備で凛はあっという間にアパートに戻ってきた。何よりもまず、クリームには冷蔵庫に入っていただく。入れ替わりでタマゴはエアコンの真下へ。ついでに缶詰のフルーツをザルに移す。あとは粉と砂糖と……。
 スポンジは母直伝のレシピだ。凛の家で代々伝わる秘伝のレシピ――とはいえ、母が幼い頃近所のマダムに教わったものらしいので、まだ我が家では『代』しか伝わっていない。『々』の部分は凛次第である。
 もくもくと粉をふるったり混ぜたりすれば、あっという間に生地ができあがった。それをオーブンレンジに突っ込んで、焼いている間に道具類を片付ける。焼けたスポンジは魚焼きのグリルに出して、洗面所に放置する。冬限定のウラ技だった。
 スポンジが冷めるまでシロップを作って待つ。シロップも洗面所に置き、今度はクリームを泡立てて待つ。七分立てにしたところで凛の腕はそこそこ限界を迎えた。だるい腕でスポンジを迎えに行く。悪くない温度になっていた。
 半分に切ったスポンジにシロップをこれでもかと染み込ませ、缶詰のフルーツとクリームを挟んでいく。あとはひたすらナッペ、ナッペ、ナッペ。凛は油絵職人の如くクリームを塗りたくった。絞るよりもラクだから、家を出てからはずっとこのスタイルだ。
 ナッペに次ぐナッペの末、ケーキが出来上がった。
時計を見れば、まさに今日付が変わろうとしているところ。まさに、天才。凛は大袈裟に自分を褒め称えながらケーキを六等分した。その一切れをキッチンで立ったまま頂戴する。ひと口食べて、紅茶のことを思い出した。今からお湯を? 二秒悩んで、結局レンジで水を沸騰させた。正直ちょっと眠いので、これくらいの雑さでも全く問題ない。
 小さすぎる一切れはあっという間になくなった。紅茶の渋みで甘さを流し、ほっと息をつく。この味が少なくとも明日と明後日は続くのだ。うきうきする。
 夜遊びの嬉しい代償を思いながら、凛は歯を磨きに氷点下の洗面所の戸を開けた。

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