苦しみの中からのメッセージ
出羽三山の山伏修行、秋の峰。
7日間の過酷な山籠もり修行が、10日後にせまる。
そろそろ本格的に準備をしなければならない。
荷物もそうだが、体を鍛えなければならない。
開催は4年ぶりだ。
心身ともになまっている。
今朝は6時に起き、公園の坂道を周回する。
はじめは歩みがぎこちない。
機械のつなぎ目が緩んでいるかのように、足腰がグラグラと不安定な感じがする。
水の補給も頻繁だ。
汗がだらだらと流れ落ち、すぐに喉がかわく。
そんな状態が1時間ほど続いた後、しだいに体が落ち着いてくる。
膝のぐらつきが安定する。
汗の量が減り、水が欲しいと思わなくなる。
体が整うと、心も落ち着いてくる。
しだいに自分を傍観できるような感覚になってくる。
最近の自分を俯瞰しながら思う。
焦っていたなと。
仕事のこと、収入のこと、自分の能力のこと。
会社を辞め、安定した状態から不安定となり、先の見えない状態が怖くてたまらなかった。
怖いので、何か拠り所をつくりたかった。
お金、肩書き、過去の実績など。
そういうものを心の支えにし、自分の精神を安定させようとしていた。
しかし、収入は思うように増えず、肩書きは過去のもの。
つくった実績も古く、人から評価されるものが何もなかった。
企業の面接で下される低い評価。
そんなことが何度も続き、自分にできることがよくわからなくなっていた。
能力の衰えも怖かった。
記憶力、発想力、行動力。
それらが以前とは明らかに違う。
自分は生きる価値があるのだろうか。そのように考えることも増えていった。
わき起こる自己否定の感情。
命を絶てば楽になるだろうかとまで考えた。
坂道を延々と歩き、山伏修行に近い精神状態にある今、1つのメッセージが心の奥からわいてくる。
「手放せ」と。
お前は何者でもないのだ。
何かになろうとするな。
汗をかき、歩くお前がここにいる。
それだけなのだ。
それがお前という存在なのだ。
過去の自分にすがるな。
自分を大きく見せようとしたり、小さくなろうとしたりするな。
今、ここにいるお前がすべてだ。
汗をかき、歩く。
青い空と白い雲を眺めている。
その自分だけが、ここにいる。
ありのまま。
それが本当の姿。
そんなメッセージに触れ、抱えていた重荷のようなものが軽くなった気がした。
楽になった。
清々しさがあった。
汗を流すだけの、ありのままの自分を自覚することができた。
無理をしていたんだなと思った。
背伸びをしていた。
今までとは違う自分にならなければとも思っていた。
何者でもない自分。
それがわかれば、少し勇気もわいてくる。
自分を取り囲む環境は、何も変わっていない。
しかし、自分のとらえ方というものが少し変わった気がした。
自分の居場所がわかった。
それが足掛かりになるかもしれない。
空気の匂いがする。
少し前まで気づけなかった、夏らしい匂いだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?