「ああ、ここが分かれ道かもしれないな」
そんなことを思う瞬間があります。
そこで頑張りきれるか、それとも逃げたり甘えたりしてしまうか。
岐路に立っているなと思う瞬間です。
最近では、仕事で報告用のレポートを作成している時がそうでした。
あまり労力をかけずに仕上げてしまおうと思えば、そこそこのものができる。
しかし、本当に自分も相手も充分に納得できるレベルのものを作ろうとすると、情報収集や文書作成の手間がかかる。
忙しかったり、疲れたりしていると、
「まあ、いいか」
と思いたくなります。
しかし、そんな時にしばしば、こんな言葉が頭をよぎります。
「ここが分かれ道かもしれない」
ここでがんばって、レポートを作りきれば、何か「階段」のようなものを1段上れるような気がします。
反対に、今、目の前の仕事から逃げれば、階段を1段降りてしまうように感じます。
このような感覚は、仕事の場面だけに限りません。
困っている人を見かけ、声をかけようか迷う時。
いつも続けていることを休みたいと思う時など。
自分自身と向かいあい、「良心」のようなものと「甘えたい気持ち」が葛藤する時、
そこはいつも分かれ道になっているような気がします。
がんばって、何度も階段を上がれば、階段を上ることに慣れ、はずみがつくでしょう。
逆に、いつも階段を降りてしまえば、降りることに慣れ、そして落ち続けてしまうように思います。
私はそれがとても恐い。
落ちていくことは、とても楽で、慣れてしまえば抜け出せなくなるような気がするからです。
「ここが別れ道だよ」
と教えてくれる声を大切にしようと思います。
そして、できるだけ階段を上るような選択をしていきたいと思います。
自分の成長を信じているから。