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石井光太『赤ちゃんをわが子として育てる方を求む』書評(ネタバレ含む)

赤ちゃんをわが子として育てる方を求む

この言葉は、とある新聞広告に載せられた一文である。

なぜ新聞に広告を打たねばならなかったのか。
なぜ菊田医師は赤ちゃんを斡旋したのか。
本書は赤ちゃん斡旋事件、特別養子縁組の成立をめぐって、菊田昇氏の足跡を描いている。

マザー・テレサに次ぎ第二回目の世界生命賞を受賞した菊田医師。
彼の偉業を私たちはあまりに知らなさすぎると思う。
と同時に、あまりに興味がなさすぎると思う。
本書を読後、他の類似書籍も読んでみようと探したが見つからなかったからだ。
私たちは、菊田昇医師について知らねばならない。


本書を読み始めた時、そして読み終えた時も私の反応は同じだった。
涙が止まらない。
誤解されたくないのだが、この涙はすべてが感動とか感激といった美しい涙というではない。
”やるせなさの涙”だ。

なぜカヤは死ななければならなかったのだろう。
なぜ女たちは子供を産む選択をできないのだろう。
なぜ産声を上げた赤子を殺さなければならないのだろう。

彼、彼女たちの想いに涙が止まらない。
どうすればいいのか、答えが見つからない。
苦しみにもがきつつも選択を繰り返す人間たちへの涙だ。



私たちは、菊田医師のように選択を迫られる時がある。
難しいのは最善の選択を選ぶときではなく、「何が次善か?」探ることにあると思う。

たとえば、そもそも赤ちゃんは無事に産まれて両親のもとで育てられるのが最善だろう。
でも両親が揃っていない場合は?
赤ちゃんが望まれていない場合は?
最善を選択できないとき、何が次善の策か、ベターなのか探っていく必要がある。
その次善の策は複数ある場合もあり、その場合の選択にはより責任能力が問われるだろう。

菊田医師は、赤ちゃん斡旋を最善の目的としていた訳ではない。
母体の安全を考えて、また母親の未来を考えて中絶手術を施した。
結果、子供が産声を上げた。
この場合、その子供を医師が殺すということがこれまでの次善の策であった。
赤ちゃんの命は守れないけれど、患者=母親の意思は尊重される。そういうことだ。

菊田医師が疑義を挟んだのは、その件についてだ。
”赤ちゃんの生命を見捨てることが次善の策なのだろうか?”
彼がクレバーだなと思うのは、次善の策を2パターンも提示したことである。

一つ目は、中絶可能な週数の見直し。
二つ目は、養親を実親とする戸籍制度の提案。

彼の二つの願いは紆余曲折を経て、認められることになる。
法を冒してまでも生命を守った菊田医師、家族、病院関係者たち…彼らの想いは如何程だったのだろう。
感無量という他ない。

小説の中の一節。

問題は、法律に触れるかどうかより、人間の生命が守られることを優先させることではないか。法律の絶対化よりも、人間の生命の絶対化である。


そもそも人間の生命が守られない法律など悪法でしかない。
でも「仕方がない」という理由で見過ごしてきた人は多かろう。
そんな中で奮闘した菊田昇医師に心よりの敬意を表したい。


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