お産記録 〜爆誕〜
39週=5月初旬ごろ〜
お腹が張るような感覚を不規則に感じるようになる。
5/6(土)
痛みを比較的頻繁に感じるようになったので、陣痛記録をつけ始める。
間隔は不規則。痛みの強度としても、生理痛の弱いやつのような便秘のときのようなお腹壊したときのような、そんな痛みでしかなく、普通に我慢できる痛みだったため、本気で身構えてはいなかった。
5/7(日) 39週5日
朝9:20ごろ
トイレに行った際におしるしに気づく。少量の出血。痛みは20〜30分間隔。相変わらず我慢できる痛み。
一応おしるしのことを産院に連絡するも「痛みが10分間隔になったらもう一度連絡を」ということで終了。そりゃそうだと納得。
昼はステーキガストに行く予定だったが、万が一を考えて家にいることにする。旦那が家の前のかっぱ寿司で寿司を買ってきてくれた。
私は寿司、生魚が大好きだからこそ、この10ヶ月、生ネタの寿司を禁じてきた。この時も火が通ってるものしか食べなかった。浜焼きエビうまかった。
19時ごろまで、同じような20分間隔の痛みが続いた。
20時〜
痛みの度合いは相変わらずで、物足りなさに疑問を感じながらも、いよいよ痛みは10分間隔に。
21時
産院に連絡。来てください、ということになった。
21時10分ごろ
旦那に送ってもらい産院到着。まだコロナ対応のため、ここから先は一人。
陣痛室に入った直後、21時半ごろから急激に痛みが強くなってきた。ここがまさに「我慢できる痛み」と「我慢できない痛み」の境目だった。我慢というのは簡単にいうと「唸り声を出さずにいられるかどうか」だ。
「あああ」とか「ううう」とか思わず声が出てしまう強い痛みに変わってきていた。
産院に来るタイミングとしてはベストだったように思う。これ以上遅かったら家の中で動けなくなっていただろう。
助産師さんが背中から腰にかけて擦ってくれて、そうすると不思議と痛みが和らいだ。神の手かと思った。
22時ごろになり、助産師長さんが様子を見に来られた。子宮口の開き具合を見てもらったところ(指を入れての内診…これがまた痛い)、まだ開いているのは「0.5cm」とのこと…。
全開まであと20倍。正直絶望した。この痛みはまだ続くし、もっと痛くなるんだ。6時間とか、きっともっと時間をかけて死ぬほど痛くなるんだ。……そう思った。
22時半。陣痛が来るたびに唸り続けている。
助産師さんから、「夜遅いし、まだ長引きそうなので、いったん痛み止めを打って休みましょう」と言われた。「読書もしちゃダメだよ。目を閉じて、体力を温存して」と。
背中からブスッと痛み止め。もう、痛いことしかない。泣きそうだった。
23時ごろ
うとうとと眠気が襲ってくる。
目を閉じていると、脳内にアニメのようなドラマのような変なカラーの映像が次々と流れてきた。よくあるボカロのMVみたいな感じ。
ああ、これはクスリ(痛み止め)の幻覚作用なのだと思った。眠気もあって意識が混濁してきて、夢か現実かわからなくなった。
太宰治がモルヒネ中毒だったらしいということを思い出して、それってこんな感じなのかな…とか頭の片隅で思っていた。
しかし、夢うつつの時間は長くは続かない。4,5分間隔で再び陣痛が襲ってきて現実に引き戻される。その繰り返し。結局寝られない。
陣痛の痛みはすでに「ふううう」「うあああ」と大きな声を出さざるをえないほどの強さになっていた。痛み止めが効いていないのか、効いてコレなのか。
落ち着いているときはうとうと寝ていて、そうかと思ったら急激に来る陣痛に激しく唸る。何も知らない人が見たら、何かに取り憑かれた人のように見えるだろう。自分でも何が何だか分からなくなっていた。本当の意識は遠いところにあった。
そんな状態が約1時間半、深夜0時ごろまで続き、痛み止めを打っているのにも関わらず痛がる私を見て、助産師さんが師長さんを呼んできた。
子宮口を見てもらうと、なんとここですでに9cm!たった1時間半でそんなに開くものなのかと驚いた。もしやこれ、もうすぐ分娩台…?怖い!早い!朦朧とした意識の中で思った。
5/8(月) 39週6日 午前0時過ぎごろ
陣痛室のベッドの上で股を開いて三拍子呼吸法が始まる。クスリの影響(だと思っている)のトランス状態でとにかく眠くて、あたまが働かなかった。
「痛い」より「眠い」「寝かせてくれ」の気持ちのほうが大きかった。
「便を出す感じでいきむ」という感覚が掴めず、力の入れ方がよく分からなくなってしまった。陣痛の波が来たらできるだけ唸らず呼吸法を必死でやる。それだけで精一杯だった。
途中でわけわかんなくなって、産んだら食べると決めている寿司のことが頭に浮かんで思わず「スシッ…!!」と叫びかけたことは秘密である。
午前1時、いよいよ分娩台へ。意識が朦朧としている。とにかく本当に眠い。でも陣痛が来ると痛い!
助産師さんの掛け声に合わせて呼吸しようと試みるも、もうよく分からない。眠い(とにかく眠い、寝かせてくれという感情)。
ただ、赤ちゃんには酸素を送らなくては!という気持ちだけはあり、必死で呼吸する。いきむ。力が入っているかどうかも分からない。
そして、1時34分だった。
「もう産まれるよ!」の掛け声で力を抜く、いや抜いたつもり、その瞬間ぬるっとした感覚とともに、私の耳に元気な産声が飛んできた。
眠過ぎて気絶しかけて霞んだ視界にうつる赤ん坊や。
「うわあ…すごい…すごい…」
すごいという言葉しか出てこない私(語彙力)。
爆誕の瞬間である。
陣痛は痛かったけど、産むときの痛みはあまり感じなかった(割と平気だと感じた)のは、痛み止めのクスリのせいだったのかどうなのか…。
お産が早過ぎた代償か、体のダメージは結構酷く、結構な時間縫われていた。これは地味に痛かった…
ただ、会陰切開とか裂傷とか、お産の前は怖すぎて震えていたが、終わってみればなんかもう、無事に産めたことが第一で、ダメージを負ったことなんかどうでもよく感じる(今はあまり産後の痛みを感じていないから言えることかもしれない)。
この先どうなるかな。産後の経過がよいことを祈る。
旦那にLINEのビデオ電話をし、親にも無事を伝えた。
疲れて眠すぎて、性別とか疑問系で答えを求めてくるLINEがちょっと億劫だったのは秘密笑
おしるしから考えると16時間。
産院に入って本気の陣痛と戦ってからは4時間半。
分娩台上がってからは30分ほど。
子宮口が開くまでが本当にあっという間でびっくりだったな…
その後、陣痛室に帰ってきて休憩。
子宮マッサージをされて、ぐええ…となりつつ、メロンシャーベットをいただいた。
しかしその後の休憩の2時間中、2回ほど吐いてしまった。
陣痛中に吐く人がいることは知っていたが、自分はまさかここで!?と驚いた…。
助産師さんすみませんでした…。
朝になっても結局眠れず、寝られたのは朝食後の朝10時ごろ。
食欲もバッチリ。
もう、寿司を食べる準備はできている。
そして出産に関わってくれているスタッフさんの多さ、優しさ、気遣いに感動。
それがお仕事とはいえ、夜遅くの分娩に関わってくださることに感謝しかなかった。働く女性。自分の在り方も考えるきっかけになりそう。
そんなこんなで、ようこそ赤ちゃん、この世界へ。
この世は大変なことも多いかもしれないけれど、その先にきっと光があることを信じて、一緒に歩んで生きていこう。
これからよろしくね。