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Burg Ring1という店で
(大学四年の2月、バレンタインくらいの時期にチェコとオーストリアを一人で旅行したときの記憶の羅列)
ウィーンで宮殿を観て、ホテルに戻るまでの道で雨に降られた。傘を持たずに出てきてしまったので、ただ雨に打たれて歩くしかない。もうあたりも薄暗くなり底冷えしてきた。一日中歩き通しだったのでお腹も空いてきて一層侘しかった。冷たい雨が空腹の体に沁みていくみたいだった。
仕方なくとぼとぼと歩き続けていると、大きな馬蹄形窓のバー兼レストランが目に入った。中を覗くと、数組お客が入っていて、お酒のグラスを傾けていたり、暖かい食事が運ばれているのが見えた。マッチ売りの少女の気持ちってこんな感じかななんて思った。でも私はマッチ売りの少女と違って僅かにお金を持っていたので、意を決して店に踏み入った。
ぎこちなくウエイトレスに声を掛けると、店の奥の席に通される。ヨーロッパのレストランは人種差別をすることがあり、アジア人は窓際などの良い席には通さないなどと事前に聞いていたのと、実際にウィーンの前に行ったチェコのレストランで、明らかにアジア人だけを集めたエリアの席に通されたことがあったので、今回もそれなのかな、などと少し悲しく思った。
メニューを眺めて、ガイドブックで調べておいたウィーンの名物料理をたどたどしく注文する。スッぺというスープと、クレソンのサラダ、そして平たいカツレツ「シュニッツェル」。ウエイトレスのお姉さんは繰り返して注文を聞いて、それからにっこり笑ってこう言った。
「窓際の良い席が空いたから、移動する?」
窓際の席からは、冷たく濡れたウィーンの街が次第に濃紺に包まれていく様が良く見える。水たまりが出来た道に街灯と車のヘッドライトの黄色が反射して、光の道のように見えた。店内は少しずつ混み始めて異国の言葉がBGMみたいに聴こえてくる。
あぁ、今異国にひとりなんだな、と実感する。でもそれは少なくともこの空間では、寂しさではなく、贅沢な幸せを感じるものだった。 ぼんやりしているとさっきのお姉さんが料理を運んできた。
「あなた一人で来たの? 勇敢ね。」
はじめてのおつかい、みたいに、自分への小さな挑戦のつもりで旅行していた私は嬉しくなってしまう。はい、ありがとう、と答えるとお姉さんはニヤッと笑って料理を並べた。
スッぺという、クレープの切れ端みたいなのが浮かんだ熱くて塩気の多いチキンスープは、冷えた体をすぐに温めてくれた。スープは小さい甕のような容器になみなみ入っていて、食べてもなかなか減らなくて、『おいしいおかゆ』という、小さい頃好きだった絵本に出てきた魔法の鍋みたいだった。魔女がくれたおかゆが無限に出てくる不思議な鍋。食べ物が尽きぬほどあるということの幸福感が小さい頃から特別好きだったと思う。
シュニッツェルは、お皿から少しはみ出すほど大きくて驚く。味は予想通りの薄っぺらいカツレツで、親しみのある美味しさだった。
スープもサラダもシュニッツェルも、かなり食べごたえのあるボリュームだったけど、今日一日で失った栄養を補うように残さず食べた。
「気に入った?」
お姉さんが微笑む。 はい、もちろん。
すっかりお腹が満たされたころには、マッチ売りの少女の侘しさも何処へやら消えていた。暖まったお腹と心を抱えて、小降りになった夜道へ歩き出した。
あの優しいウエイトレスのお姉さんに幸多からんことを。Burg Ring1という暖かなお店にまたいつか巡り会えますことを。
2019.02.18