ゆめみのまち③岬の商人
灯台の近くには海鮮を出す飲食店数軒があり、灯台へ来た客で賑わっている。
閑古鳥の鳴いている物産店を覗けば、貝殻を売っている。いや、貝殻しか売っていない。
このモノと情報が飽和した時代に、土産に貝殻を買っていく人はどれくらいいるのかと考えていると、店の中からおじいさんが出てきた。私が何度も店の中を覗くから、あの子は何がそんなに気になるんだろうと思っていたのだという。まさか貝殻は売れますかとは聞けない。
おじいは店前にある数種類の大きな巻貝を順番に耳に当ててみろという。言われるがままに当ててみると、
「ざあー…」とか「ごおお…」とか貝の種類ごとに違う音がする。
「どうだ、音が違うだろう、ああこれは砂浜の音だな、とか、こっちは石の浜の音だなとかそうやって楽しむものなんだ。」
おお、なんだか詩的な売り文句。買った方がいい流れなのは分かるし、大した額のものでも無いのだけど、どうしても買えない。帰ってからの生活にこの大きな巻き貝が不要なことは明白で、それなのに買っては消費者として「負けた」ような気がして指が動かない。資本主義のルールみたいなものに自分の神経一本一本を支配されていることを感じる。なんかごめん。と思いながら貝を置く。
「ここには綺麗な夕日もあるし、面白い話がたくさんあるんだ。」
突然おじいが誇らしげに言うので、例えば?と聞いてみると、ガラス窓に貼ってある青くて胸がオレンジ色の鳥の写真を指さした。ここには幸せの青い鳥がいるのだと言う。NHKの番組でそう言って取り上げられていたらしい。
「知らないで毎日この鳥は見ていたけど、幸せにはなってないな。」
私の実家も昔、お土産物屋をやっていて、この店の雰囲気が懐かしくて覗いていたんです。どうもありがとう。と言って立ち去ろうとすると、
「またおいでね。今度は自分で青い鳥を見つけるんだよ。話で聞くだけではなくて自分で見つけてこそなんだから。」
とおじいは言う。手を振って別れる。
妙に詩情のあるおじいだった。後で会話を反芻すると嘘みたいで、でももし嘘であればつまらないほどに完璧なので夢の中の出来事みたいだ。今思えば、夢ではなかったことの証拠としてあの大きなつやつやの巻き貝を買っておけばよかった、とちょっとだけ思う。
後日談だが、帰ってあの青い海鳥を調べると、私が住む街にも生息域を広げていることが分かった。しかも私はこの鳥を職場の構内で見かけたことがあるのも思い出した。幸せの青い鳥はほんとうに近くにいたのだった。