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東南アジアのお面

東南アジアのお面が嫌いで好きだ。
なんというか、まったく話が通じなさそう。
目が合うと、「こりゃだめだ」と思考が強制的に停止して、本能的に逃げ出したくなる。長時間対峙しようものなら、気が狂いそうになる。そこにあるだけの造形物が、イメージの力で暴力的に生きている人間を圧倒してくる。

ある文化で神として作られたものが、異文化に生きる人間の精神をも揺さぶる。造形物として、形になったイメージとして、至高の形状を取れているということだ。(イメージだけではなくて、そこに何かしらの神性が宿っていて、それが圧倒しているという可能性もあることにも念のため言及しておく)

お面もそうだけど、そこに生きる人たち何世代にも渡って、不可視の存在について同じイメージが受け継がれていくという現象は、日本も含め当たり前にあることなんだけど、面白いと思う。

時間を超えて、ある地域に存在し続けるイメージ。
過去たしかに生きていた誰かが想起したものが、形となり現れ、解釈されたり、強化されたりして現在の生の中に刻まれ続け、その地域の人間の連帯感のようなものさえも作り出す。
なんと奇跡のような人間の営み!

でも、継承されなかったイメージが、残されるのも面白い。殷時代の青銅のお面とか、何を意味するのか後世の人間には全く分からなくなって、そのお面が表すものは何なのか、殷という時代についてあれやこれやと想起させる。
継承されなかったイメージは、過去確かにこの地にあった隔たった「時間」「空間」を掘り起こす証拠品となり、その時間と空間のイメージを現在に再生産する。
おお、これもなんと奇跡のような人間の営み!!

嫌な会議に出るときとか、嫌味な相手と戦わなきゃいけないときは、東南アジアのお面で出社して全てを威圧したいなー。

2018.12.15

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