四谷にて
今日は四谷三丁目で初めて降りて、指折りの好きな画家の展覧会へ行った。アンドリュー・ワイエス(1917-2009) というアメリカの画家で、とにかく寂しい絵を描く。ワイエスの絵はこのブログのトップ画面の背景に設定しているくらい好きだけど、実際に観たのは初めてだった。
展示は40点と少なく、彼がよく描いた主題である、オルソン家の風景画が殆どだった。オルソン家には下半身麻痺のクリスティーナと、その弟が二人で住んでいて、二人が亡くなることによって滅びゆく家を、愛の執着と冷静な観察の眼差しで見つめていたことがよくわかった。展示の中で、「クリスティーナはほんとうに素晴らしい人間で、彼女を描いているときに、彼女の足が不自由だと言うことを意識することがなかった。私はただ一人の素晴らしい人間を描いた。」というようなワイエスの言葉があって、やっぱり好きだな、と思った。
黒人差別が酷かった地域で育ったにも関わらず、幼い頃黒人の子どもと一緒に遊んでいたという彼には、小さな頃からほんとうの世界が見えていたんだなと思う。
四谷と言えばおそば。
一般的に言ってどうかは知らないが、(多分違う)私の中ではそうなっている。江國香織の『すみれの花の砂糖づけ』という詩集の「ゆうべ妹と」の中に
妹はその男と四谷を歩いた話をした。
四谷で男とおそばをたべて
それから土手を散歩したのだそうだ。
いいじゃない
もう一度私は言った。
と、こういう一節があって、それが印象深いからだ。
遅めの昼食はおそばにしよう、と意気込んで歩いて、駅の近くに尾張屋という昔ながらのそば屋っぽい店があるのを見つけた。尾張屋と言うくらいで、そばよりもきしめんが看板メニューみたいだった。狭い店内に気怠くラジオが流れ、ぶっきらぼうな中国人のお姉さんが店番している。私はおそばを食べにきたはずなのに、看板メニューだからときしめんを注文してしまって、うっかり本懐を遂げ損ねたことを少し悔やんだ。
ふと目をやると窓際にぱきっとした水色のワンピースを着た、80代くらいのおばあさんが一人で座っていて、壜ビールを飲みながら、天丼とお新香を美味しそうに食べている。一人で手酌しながらしゃんと食事する姿がなんだか粋でかっこよかった。おばあさんがあまりにも美味しそうに天丼を食べるものだから、私も後からエビ天を注文した。
関東風の黒い鰹出汁のおつゆに、甘く煮たお揚げが乗ったきしめんは、つるつるもちもちしていて美味しい。えび天は大きめのが一本だけだったけど、食べてみるとぎゅっと身と味が締まっていて、なんとなくああ本物のえび天だな、と思った。昔祖父が出前でとってくれたえび天うどんの味を思い出した。貧乏くさいと思われそうで、人といるときはしないようにしているけど、誰も見ていないことを確認してしっぽも食べる。母が「昔勤めていた病院の院長夫人は、呉服の大店のお嬢様だったけど、院長先生とデートの時にえび天のしっぽも食べたんだって」とよく言うものだから、今日もしっぽを食べて恋人に驚かれているかわいいお嬢さんを想ってしまう。
実は少し前に好きだった男の人がいて、その人もワイエスが好きだったから、次の展覧会には一緒に観に行く約束をしていた。だけどその前に私が振られてしまった。好きな人と四谷でおそばを食べてみたかった。
2019.05.20