全身麻酔のメモ
眼鏡のないぼんやりした視界で手術室の前まで来る。金属質の空間に清潔な格好をした人々がいて、ドラマで見た感じそのままだった。緑の塊はたぶん執刀医。
目がよく見えないからみんなに曖昧に頭を下げながら、示された手術台へ向かう。すっぴんでぺろっとした布を着てるだけなのだが今日この時間は私が主役らしい。大人になって人生で主役になれるのは結婚式と葬式だけと言われることもあるが、手術も主役(執刀医とダブル主役)になれるのは盲点。
幅狭の手術台には薄気味悪い茶色のブヨブヨした丸があって、頭を載せると案の定ひんやりブヨブヨしていて面白かった。いろんな顔に覗き込まれ、ほほえみかけられる。少し緊張はあるが怖くはない。すぐにマスクを口元に当てられ、数回深呼吸するうちに、左腕の血管に麻酔薬が入ってくるびりびりした感覚がある。
眠くなってきました、とか実況した後は、妙な図形の連続みたいな不快寄りの夢に浸かっていて、突然はっと目が開く。
目覚めた瞬間、一瞬の猶予もなく執刀医から
「あなたの靭帯は案外ズタズタでしたからこれこれこういうふうに工夫しました」
とか説明があって、まだ覚束ない意識の中、なんかわかんないけどそういうの早くね?と思った、けど
「ありがとうございました。」
とだけ言った。みんな今日は私のためにありがとう。これはほんと。
全身麻酔に、思考のスイッチをバチンと切って自我を離れるという束の間のバカンスのようなものを期待していたので、中途半端に気持ち悪い夢を見たのが(おそらく覚醒時のみなんだけど)なんか嫌だった。手術はみんな結構普通にやっているが、他者を信じて自分を投棄するというすごい体験では?と思った。