昭和のこどもの仁義

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都心の小学校の多くは、隣接するように児童公園が設けられていた。そこは近くの小学生のいわば、領地である。
おなじところで、あそんでいるわけであるから、飽きがくる。
缶蹴りなどでは隠れる場所がきまってしまい遊びの面白みがなくなる。
遊具もほとんどかわることがないから、公園自体にあきてしまう。少年野球の試合などで、知り合いができた小学校の公園に遠征することになる。当然、そこの公園には、お客さんとして行くわけなので、そこで遊んでいるこどもの中のリーダーに目星をつけて、「あそんでもいい?」とたずねる。断られることは、何かの特別なことをしているようなことがなければない。許可が出たら、迷惑をかけないように遊びの開始である。帰り際にそこの子達がいればありがとうと挨拶して帰った。

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このような礼儀は誰からも特に教わることなく、習慣として身につけた子供の文化であった。今は、外で遊ぶ子が少ないようなので、このような伝統はどうなったのであろうか。

#エッセー

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